新しい相談所探しの旅に出た(大げさ)。
往路の途中、思い出の詰まった街を通り過ぎた。感傷に耽ってしまうな、この街は。
説明を終えて帰宅途中に寄り道。三ノ宮で乗り換えることにしたので、以前友達が教えてくれたりんご専門店にお邪魔してみた。
秋の味覚と言えばりんご。うーん、店で食べるのもいいが、どちらかというと自分の手でつくりたくなったな。
昨夜考えていたのが、「自分が惹かれる人ってどういう人なんだろう」ということ。純粋に「あの人気になるな~」から始まる恋愛は、社会人になって完全に消えてしまったように思う。条件から入る恋愛は理性からスタートだ。
で、今まで婚活用に用意していたものを無視して考えて出た答えのひとつが、『無駄を愛せる人』かなあと思った。『余白を愛せる人』『遊びを楽しめる人』とも言い換えられそうだ。
生産性や効率が重視される世の中で、「そこ、そんなにこだわる!?」「え、今やっちゃう!?」というところに熱中できる人が、私は好きだ。枝葉末節になってしまっては問題だが、ではなくて「無駄だし、どうせ捨てるんだろうけど、楽しいからつくっちゃえ」とか「この場所に特に予定は無かったけど、思わず途中下車しちゃえ」みたいな。
最近、手元にあるウィッシュリストを眺めていて、「うーんいまいち心が躍らないなあ(だからやらない)」のは、シンプルに「”せっかくなら”取り組んでみよう」という項目が多かったりする。例えば「秋だからさつまいもを使ったお菓子をつくる」みたいなね。”せっかくなら”という気持ちから生まれたやりたいこと。それはそれでやりたいことだし、実現したら達成心溢れるけれど、今はもうひと段階上にいきたいというか。ユーモアと言ってもいいのかな。単純に「スイートポテトをつくる」は「インスタ映えで、季節を感じられて風流ですなあ」なんだけど、もう一歩欲しい(具体例が無いので曖昧だな…)。
もうひと段階上に上がるには、ユーモアと、それを分かち合う相手が必要なんだ。だから、一人で淡々と達成することよりも楽しく思えるんだろうなあ。一人の時間も随分上手く付き合えるようになったけど、やっぱり私は人恋しいのさ。
無駄を愛せる人と、私は気持ちを分かち合える気がするなあ。