To the moon and back.

関西在住30代OL。日々のつれづれをぼちぼち綴ってます。内容は、お買い物ログ・婚活のやきもき・仕事のあれこれ・読書記録・雑記(ただの日記)多め。

最低で最高の誕生日 for him

総合評価:「疲れた」。その一言に尽きる。今日は彼の誕生日だった。体感で、楽しさ:疲れ=3:7くらい。彼にとっては、最低で最高の誕生日だったのではないかと想像する。

先に「最低」要素を搔い摘むと、彼からすると会って数十分で彼女(私)にキレられる。ひと悶着あり、結局夕方まで関係がギクシャクし、話し合いで「感覚が合わないよね」「もっと感受性豊かになってほしいな(要約)」と彼女に言われる羽目になる。「最高」要素は、何だかんだで予約していた美味しい焼肉屋さんに晩御飯へ行き、他愛ない会話をし、誕生日プレゼントを貰ったこと。焼肉は正義。

このブログを数日分読んでいらっしゃる方からすると、「ブログ主またキレたんかい」と思われるだろう。私は誕生日デートという、世の中のカップルにとっては一大イベントであろうものを、途中でブッチしそうになっていた。

とまあこう書くと全部相手のせいみたいになってしまうけれど、自分のせいも大いにある。私が今日はっきりと気づいたのは、

『私と彼の会話のチューニングが合ってないことが、私のイライラの原因』

ということだ。気づきたかったような、そうでないような…。

チューニングとはどういうことか?例を挙げよう。

・待ち合わせした時に「おはよう!」等声をかけてもリアクションに乏しい。一応「おはよう」と返事はされるのだがアイコンタクトが無かったり、表情が変わらない。→本人にその自覚は全くないそうだが、私からみると「リアクション薄っ…」「寝起きの低血圧みたいだな…」と思ってしまう。※出会った時からその傾向はあったが、彼も頑張っていたために、この点はあまり表出することは無かった模様

・一緒に横並びで歩いていても、斜め向こうを見ながら(※本人無自覚)少しずつ歩調がずれて早足で進まれる。私からすると「あれ、私も横にいるのですが…」となる。マイペース。

・これは以前のブログに少しだけ書いたが、電車で横並びに座っていて私とは反対方向をずっと無心で見ている(※十数分)。時々声をかけて喋るも、会話が終了するとまた同じ方向に。何か見えとんのかい。私からすると「そっぽ向かれてる?」とそわそわする。で、思い切って聞いてみるとその理由は「横を向くと晴ちゃんの顔が近いので照れるから」。え、うん。はい?その後、「いやさ、反対向かれるとそっぽ向かれてるみたいで嫌だから、会話してよ。普通にして…?」と言ったら、以降真横にいる私をじーっと見てくる。「いや、私の顔を一点注視しろなんて言うてへんやろ」「え、だって晴ちゃん横見てって…」「いやいや、別に会話しながら時々見たらいいねん!私だって前向いたり横向いたり色んな方向見てるやろ。それ冗談で言ってんの?」「冗談半分、本気半分です…」「……本気半分って何…」これはコントか??

とまあこんな感じなのだが、別に彼は私を傷つけたいわけではない。ただ、無意識。真面目の方向性が違うだけ。でもそれが積もり積もるとストレスになり、私が速攻キレ易くなる→彼委縮、本音を言えないという悪循環。悪い人じゃないことは分かる。でも会話や行動のチューニングが「合わない」のだ。

他にも小さなことを言えば、今日は湖で遊覧船に乗ったのだけれど、乗船時に「行ってらっしゃ~い」と手を振ってくれるスタッフの人たちに手を振り返す私⇔特に反応しない彼、船内アナウンスで乗務員さんのさりげないギャグが入った時ふふっと笑う私⇔無反応で遠くを見つめる彼(※あんまり聞いてない様子)、ということがあった。別に、全然ええねん。ええねんけど…私が居心地のいいコミュニケーションとは、違うんだなあって思ってしまった。今の例なら、私と一緒に手を振り返してくれると「乗船したな~!」って気分も盛り上がるし、船内アナウンスを聞いた時にお互いアイコンタクトで笑うとか、ツッコミをいれるとか、そういうのが”普通”だと思っていた(2人で冷笑するならするで、気は合っていると思う)。でも、彼にとっては違う。それが、ものすごくしんどいのだ。絶対必要なことじゃ勿論ないけど、”楽しさ”が減るのだ。

結局そのしんどさを露呈し、私がケンカを吹っ掛ける。もう何回目?という感じなのだが。で、しどろもどろになった彼から返ってきたのは「気を許した人には喋らなくて大丈夫と思いがちだった」「コミュニケーションが下手で申し訳ない…」といった言葉で、何度も謝られた。

そうだねえ。確かにコミュニケーションは、かなり不得手なんだろうなあと思う。彼には「男女の差もあるから」とも言われたが(その言葉は私がすごく嫌うフレーズなのだが、それはさておき)。

 

色々書いてごめんね。彼の良い所も書いておくよ。「絶対に怒らない所」。私がこれだけキレ散らかしても、私には絶対にすぐ謝る。私が逆の立場だったら、倍返しの勢いでその日に関係を終わらせているかもしれない。でも彼は違って素直な人なので、改善しようとしてくれる(改善の方向性は時たま変な方向に飛んでいくが)。すごいことだよ。で、会話が打ち解けてきたら「もうちょっと優しく言って下さい…」と持ち掛けてくるのだが。あと「鈍感力」(※褒めてます)。ある意味めっちゃ図太いので、だから私と一緒にいようとしてくれるんだろうな。

 

会話のチューニングの話に戻ると、まあ、チューニングは後々合ってくる…かもしれない。でも恋愛において、「かもしれない」が現実になったことって、今までにある?私の人生では、あまり無かった。そう想定した時、後に残るのは「私がどうしたいか(=彼と一緒にいたいか、素の彼を好きだと思えるか、彼と一緒にいる自分が好きか)」というシンプルな解だけだ。

 

ぶっちゃけさあ。会話のチューニング部分は、私が頑張ることじゃないと思っている。頑張って彼の思考や行動を矯正(他にいい言い方が見つからないので、これで)させることじゃないし、そもそも”頑張る”を使う場面が違う気がする。頑張ってこうしないと、ああしないとと思っている時点で、私は素じゃないのだから。

必要な場面以外でケンカしなくていい、というのはとても重要なことなんだなあ。何回も書いて呆れられるかもしれないけど、”結婚したかった元々彼”とは、日常ではケンカをすることが無くてとてもストレスフリーだった(逆に言えば、ケンカをした出来事が契機となり、別れに繋がった部分があると今では言える)。

 

今日の帰り際、彼は嬉しそうにプレゼントを抱き、「いろいろあるけど頑張るので見ていてください」的なことを言って、私を見送ってくれた。私は総合評価「疲れた」だったけど、次の約束の話をして嬉しそうな彼を見て、「うーん。どうしたものかなあ」という思いで帰路に着くこととなった。私も色々と反省はあるけど、めっちゃ頑張ったし、疲れたんやで…。もう今やけくそだから、状況が許すならば、自分のためだけに一人旅とかしたい。SNSデトックスして誰にも邪魔されず、ただ自分を労わって、自分をよしよししたい。そうしないと、この先もう頑張れない。いや、頑張らなくていいんだけど、婚活は走り続けない限り進まない。でも走り続けて、今ここにきてふらふらになっているんだわ。