To the moon and back.

関西在住30代OL。日々のつれづれをぼちぼち綴ってます。内容は、育児・お買い物ログ・仕事のあれこれ・読書記録・雑記(ただの日記)多め。

一生忘れない夜

日々細切れ睡眠の中で、私の癒しがシャワー。まだ湯船に入れないので短時間だが、このひとときが至福だ。妊娠中にもらって使えていなかったハーブ系のボディソープを存分に使う。湯船に入るようになったら、いただいたが使用をやめていたバスソルト(妊婦には刺激が強いらしい。子どもも無理かも?なので、一人の時に)を入れまくろう。

風呂上がりには生活の木のスカルプエッセンスを。普段こんないいものは使わないのですが(笑)、こちらは同期が産休前にくれたプレゼントのひとつ。育児勤務中の同期がセレクトしたこちら、「産後の抜け毛はやばいからぜひ使って!」とのこと。粋なプレゼントとその勢いに笑ってしまったのを覚えている。無事に産後から使わせてもらっている。

疲れている時、自分をケアするということは大変必要なことだ。ボディケアとか正直面倒くさいなと思ってしまうけれどw、ご自愛できていると自己肯定感が高まる気がする。育児、驚くほど基本的生活習慣が抜け落ちる罠がいっばいで、忙しさでご飯お風呂歯磨きトイレを失念しそうになる。でもこれをきっちり押さえることが大切だというのは多分私の母の教えな気がする。忙しいときこそ、気持ちを保ち続けるためにも生活習慣は維持したい。

 

今日は夕方、隣人のお宅へ、子が生まれたことを伝えるご挨拶に伺った。その際にマンションのエレベーターで1階分だけ乗った時、小学生連れのママさんがいた。

小学生二人が私の子を見て「ちっちゃ…」「ちっちゃ…」と呟いていて、黙りながら少し噴き出しそうになった。いや、君らも十分ちっちゃいで。と思いながらエレベーターから出ると、ママさんに声をかけられ、「生後何ヶ月ですか?」。抱っこしていたから0歳だろうと思われたのだろう。「1週間なんです…!」と言うと、そのママさんが「ええー!!かわいい!!!!!おめでとうございます!」と絶叫(?)してくださったところで、エレベーターの扉が閉まった。

良かったね、我が子よ。かわいいって言ってもらえて。ママさんも、そんなにも生まれたてとは思わなかったのだろう。嬉しいね。 

 

昨日は夫が職場への手続きで出かけている間、私は子に授乳しながらさめざめと泣いていた。夕方に帰宅したところで目撃され、心配されたのだが、話せなくて「あとで話そう」と伝える。

夜に授乳が終わったところで、夫と話していてまた涙が出てきた。話せないくらい泣いていたので「明日話す」と言ったら、「さっき、後で話そうって言ってたやん。だから、今話そう」と返される。こういう時に夫と一緒にいて良かったと思う。

泣いていた理由は実は違った。夕方は、今までのことを思い出して泣いていた。同じ理由で産後1日目、母子同室が始まった夜も泣いていたのだが、夫には電話でチラッと伝えただけでなぜ泣いたのかまで伝えていなかった。

母子同室の夜、授乳を求めてきた子にげっぷをさせるために縦抱きをしていて、子と目がぱったりあった。夜中の3時くらいだったと思うが、その瞳を見て、走馬灯のようにそれまでの出来事を思い出していた。私は妊娠前と妊娠中と比較すると圧倒的に妊娠前の方がメンタルが落ち込んでいて、何なら妊娠中の方が安定していたくらいだ。幸いつわりもほとんどなく、健診で指摘されるような大きなトラブルもないまま出産も無事に安産で終われたので、言うことがない妊娠生活だったと言える。妊娠するまでの乱高下な気持ちは、夫に伴走してもらったから何とかなったものだ。

私は人よりも、多分「子を持つこと」についてそれなりに考えてきたタイプだと思う。私は絶対に子が欲しいタイプではないんだなと婚活中に気付き、でもそこから子を持ってみてもいいかなと思えるパートナーに出会えるまで紆余曲折あったし、さらに子を持とうと二人で意思を固めて妊娠するまで、長いストレスと葛藤があって、夫にはかなり辛く当たっていたと思う。そんな中でも幸いにも妊娠し、ここまでとうとう来たんだ…始まりに過ぎないけど…という深い感慨にあった。

同時に、母親になっても大丈夫なのだろうか?自身が子を持って後悔する、もしくは、子にこの世に生まれたことを後悔されないだろうか?と考えて、産休中はとても妊婦が読むとは思えないタイトルの本(「母親になって後悔してる」とか「産んでくれなんて言ってない」とか…)を図書館で色々読んでいたことを思い出した。自動貸出機じゃなかったら司書の人に心配されていたかも(笑)。そんなだったから、ひとまず母子同室の夜を迎えて、産休中のひとときを信じられなく思ったりした。産休、すでに遠い過去のように思える。

 

出産の時、私の中から子どもが出てきていきんだ瞬間、すぐに聴けた産声で安心するとともに、助産師さんに子が取り上げられるのを遠目で見る中で「良かった、健康そうだな」というのを最初に感じた自分に、冷静にショックを受けた。まさか分娩台のうえで100%の幸せな喜びを感じないとは。

健康というのはその言葉の通りだが、「五体満足なのか?障害がなさそうか?」を瞬時に判別しようとした自分を薄情だと思った。そういう不安は妊娠中にもあって、情報はあえて遠ざけようとしてきたし、正直これから何があるかわからない。病気が判明するかもしれないし、事故に遭う可能性だってあることは認識している。でも、生まれて感動して涙するとか、どんな子であっても嬉しいなという感情が最初に来なかった自分がとても薄情に思えてしまった。もし、健康ではないとされる何かが分娩室で分かったら、自分はどう感じたのかな…という気持ちが渦巻いていた。そのあとはバタバタしていて、実際に子が運ばれてきて見ているうちにそんなことは忘れ去っていたのだが、母子同室の夜に思い出されたのだった。 

常夜灯の中で薄目でじーっと自分の方を見てくる子を見ると、涙が止まらなくなってしまった。私のお腹にどうやって入っていたんだろうと思うくらいこんなにも大きくて、でもその日の授乳指導ですぐに私の胸に吸い付いてくる子を見ると、こんなにも幸せなことはないと感じた。私は母親になったんだと実感が湧いてきた。そして、この子にどんなことがあろうとも、絶対に守ってあげたいし守り抜くという気持ちが込み上げてきて、更に泣いた。

 

…と、夕方に子のおむつを替えながら母子同室の夜を思い出し、さらに気づけば体重がすでに増えて産院で見られた仕草がもう無かったり、顔つきが変わってきたりと1週間での急激な成長を目の当たりにして、また泣けてきたのだった。毎日の変化に「こんなに早く大きくならなくていいのに」と思ってしまうのだ。もっとスローペースでいいのに…と、もう子に置いていかれるような気持ちになってしまった。成長してほしいけど、ゆっくりでいいのに、一瞬も見逃したくないのに見逃してしまうんだろうなあとこの先を想像して泣けてきてしまうのだ。

 

ここまで長い話をして、夫も気づけば鼻を噛んでいた。向かい合って話せなくて、同じ方向を見て喋っていたのだが、伝わったようで良かった。そして「晴ちゃんはお母さんになったんだなあ、と思った。俺は、これからお父さんになっていきます」と言われた。これがマタニティーブルーというやつかなと笑った。 

「成長は寂しいけれど、だからこそ記念になる日とか、そうでないときも全力で見逃さないようにお祝いしていきたい」と言う話をした。ちょうど前日にささやかなお七夜をし、夫婦で写真や動画を撮りながら可愛い可愛いと言いまくっていた。その一瞬は一度きりしかないのだからお祝いは後悔しないようにしたいし、写真や動画を残しておきたい。私がブログを続けているのもそうした理由があって、何かあって見返せるものを増やしたいのだ。授乳でまとまって寝ておらず、ブログも更新しづらい日々が続くけれど、何とか意識的に短くても更新できているのは、今の気持ちを繋ぎ止めておきたいからだ。

 

ちなみに夜泣いていたもう一つの理由は、産前の授乳方針がうまくいかずに方針転換を余儀なくされており、夫のペースと合わなくてイライラして涙が出たのだった(笑)。そりゃあ育児書通りにはいかないし、幸い子は順調に体重が増えているので心配もいらないのだが、不眠が続くと相手にイライラしてしまう。「私、夫くんが余裕ない時分かるよ」と言うと、「それは俺もだよ」と言われ(笑)、「分かった気になってアドバイスとかしちゃってごめんね」と言われる。別にアドバイスは気にしていないし、母子同室から産後が始まった私とは夫はスタートも違って(日本の病院だけなのかな?絶対保護者同室でやるべきだと思う…)、夫も予想より早くなった育休で発生した残務処理に追われて、産後すぐは正直余裕がない表情をしていた。普段優しい人がそんな状況だったので、きっと追いつくのに必死だったんだろうと思う。でも妊娠出産は100%女性の負担なので、私の方がしんどかったに決まってるけどね!(笑)そういう割り切りもしつつ、子育てを二人で頑張っていきたいなあと、気持ち新たに思うのであった。話してくれてありがとうとお互いに告げながら、また一生忘れない夜が増えたなと感じた。