見る度に驚きの成長。生命力が溢れている。
今日はターボ全開でもりもり書こうと思います。いや、毎回そうかも。
婚活について。
①話し合いが苦手?
私が付き合ってきた人がもれなく言うのは「俺は話し合いをそんなにしたことがない・苦手」(話し合いをしようとしなかったモラハラ野郎や、茶化して無かったことにしようとした奴は論外。今思い出しても腹立つわ)。私が「話し合いできる関係がいいよね」と言うと、相手からすごく申し訳なさそうに言われる。そうなんだ~と返すけど、「そんなにしたこと無いか…?」と内心思っちゃうのも本音。
私が思うに、理想の話ばっかり進んでいくのは不安だ。いい話は、いつだってできるし楽しい。でも、家族になるっていうのはそういう場面ばかりじゃないよね。健やかなる時も病める時もとはよく言うけど、病める時ベースで話し合いができないと、詰む。ここは揺るがず婚活の軸にする。
私も過去を振り返ると、話し合いが得意な訳では無いし、できれば揉めたくないタイプだった。でも話さざるを得なかった場面を考えると、特に昔の部活やサークル活動に思いを馳せてしまう。それらは期限があるしいずれは卒業を迎えるものだけど、コミュニケーションの難しさを嫌というほど思い知った時期だったし、かけがえのない経験だった。相手と上手くいかないまま終わってしまったものもあるけど、向き合ったから後悔はしていない。私は相手に対して、そういった経験値を求めてしまうな。
②ジェンダーイコール男子
ジェンダーイコール男子については下記記事を参照されたい。
私はアルテイシアさん(上記のライターさん)の文面に完全同意な訳だが、ジェンダーイコール男子の観点で婚活相手を見ることにしている。ざっくり下記のように分けて考えると…
1:紛れもなくジェンダーイコール男子
2:ジェンダーイコール男子見習い
3:ジェンダーイコールはちょっと無理そう
今の彼は…2かな(笑)。話し合いしようとしてくれる素地はあるし、穏やかに丁寧に話を聴いてくれるのは安心できる。ただ私が上手く誘導しないと気づいてくれるかは微妙なところだったりする。
見習い要素:
(例1)彼と喋っていたら、育休の話が出た。「あなたの職場は、男性の育休って取れたりするの?」と聞いたところ、「もし子どもが出来たら、取るつもりだよ。世の中で子育てに無関心な父親って、最初をやらないから、やり方が分からないのもあると思うねんな。だから、最初夫婦で一緒に子育てに取り組むのが必要だと思ってる」と彼は答えた。ほほー。ええ解答ですな(「言うとくけど、最初だけじゃなくて最後までやでー」と心の私が言っていたが、趣旨ではないので発言はしなかったw)。この発言から見るに、夫婦で協力して子育てしようという想定があるんだな、と分かったのは良い収穫だった。まあでもその後、彼と私との休日シミュレーションの話で若干私が気分を害して怒ったのはここには書きません、ええw。
(例2)真剣交際になる前、彼が友達と旅行に行った写真をスマホで見せてくれた。男性4人ほどで行ったようなのだが、その時全員で肩を組んでじゃれあっているような写真があった。私はそれを見て「仲良くて微笑ましいなあ」と思ったのだが、照れ隠しなのか「男子4人でちょっと気持ち悪いやろ?(笑)だから見んといて~」と言って写真をスクロールした。
私はこの時、へえ~と笑ってしまって「男性同士だから気持ち悪いとか、無いよ」と言うことができなかった。このことに今、若干の後悔がある。本人は冗談のつもりだったと思うけど、「男性同士だから〇〇」というジェンダー観は、本人は良くても、どこかで聞いている周囲を傷つけてしまうことがあるから。「別にそれでも良くない?当人たちの仲が良いんだから」って、なぜ私は言えなかったんだろうと思ったし、相手にも本当はそういう発言をしてほしくなかった。彼は無意識だろうな。これはジェンダーイコール男子というよりジェンダー全般の話だけど、私はちゃんとそういうことを意識できる人間関係でありたいとそう願っている。
…とまあ、現時点でいろいろ観察中なので「見習い」ね。(笑)
③人生、自分の力でどうにもならないことがある
私が彼のことを良いなと思った出来事に、”「人生、自分の力でどうにもならないことがある」を自覚しているから”というものがある。一般的な人は気にしない観点かも。何それと言われそうやけど。
経緯としては、二人で「周囲に結婚しなよって言われたりする?」という話が出た時、「結婚したくても、人生、自分の力でどうにもならないことって、あるやんか~」と少し語気強めに彼が言った。穏やかな彼としては珍しいので「結婚したい人がいたけど出来なかったのかな~、それだったら私と一緒だなあ」と勝手に感じたけれど(笑)、人生どうにもならないことがあると知っているのと知っていないとでは、大違いだ。
だって、それを知らなかったら、全てを自己責任論で片づけてしまうから。私が昔付き合ったモラハラ野郎がそうだったな…(遠い目)。社会学の自己責任論を広げると収集付かないのでここでは触れないけど、何もかもが自分の努力で成功したと思うなよ。”努力をし続けられる環境”を親に与えてもらっていなかったか?実家が太いのではなかったか?自身で用意しなくとも機会が与えられていたのではないか?
分からない人はこの東大入学の祝辞を読んでくれと言いたい。
このまま書きたいから脱線するね(結局社会学とフェミニズムの話やんというツッコミは置いといて…)。当時色んな人がこの祝辞を絶賛していたが、私も琴線に触れたのはまさにここ。上野千鶴子先生…生で聞いてみたかったなあ。何回読んでも、ちょっと泣いてしまう。
(以下引用)
あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。
別に相手にフェミニズムを分かって欲しいとは、言わない。でも、根底にある考えが上記に合致しなければ、私は人生の方向性が合わないので無理だ(笑)。婚活と結婚はフェミニズムでも取り上げられるテーマだからなー。だから、彼の発言にはちょっとほっとしたんだよな。「あー良かった、それを分かっている人なんだ」って。一度”折れた”ことのある人の方が、人間味があるし、信用できる。
★本日の一冊★『未来を変える方程式 本当の貧困の話をしよう』石井光太(2019)文芸春秋
高校生向けの本なので、読みやすい。うー、でも何だろうこの違和感。説明の節々に「その表記はいいのか?」「男女の性格で分けすぎでは?」と思うこともあったり…。自己肯定感の反対が自己否定感というのは、分かりやすかったかな。