To the moon and back.

関西在住30代OL。日々のつれづれをぼちぼち綴ってます。内容は、お買い物ログ・婚活のやきもき・仕事のあれこれ・読書記録・雑記(ただの日記)多め。

手料理プレッシャー

料理関連ということで、前回に引き続き。

 

今回のテーマ。

「手料理が食べたい」って、何なんですかね?

 

”彼女につくってもらいたい手料理ランキング””彼に振舞いたい『彼ごはん』”

”手料理をつくって胃袋をつかもう!”という文言は、使い古されているが今も現役だ。

これらの言葉を聞く度に、私は胸がつっかえるような気がしてきた。

 

私もかつて、恋人に「手料理食べたいな~」と言われて、絶対失敗しない料理を選んで(何なら練習までして)、笑顔になって欲しい気持ちと果てしなく面倒くさい(と思うことにも罪悪感があった)気持ちを抱えながら、相手が料理を口に入れて「おいしいよ」と言われるまで緊張していた。

いや、日々料理をつくっていて得意なんです!と胸を張っていえるなら、素晴らしい。だけど私は自炊をあんまりしないし、残業を理由にスーパーやコンビニの総菜で済ませることも多々あったし、食べに行くのもすきなので自身の料理に全くこだわりがなかった。胃袋に入れば一緒だしね(笑)。

 

問題は、「面倒くさい」という気持ちをどう処理するかだった。

 

私の場合、たとえば恋人の誕生日やバレンタインのチョコみたいに、決まりきったお祝い事でお菓子をつくるのはとてもすきで、何ならラッピングも張り切って、お手紙を入れるところまでがゴール!くらいに考えてやっていたので、なんでもっと楽なはずの手料理に苦手意識があるんだろうと考えていた。

 

そして、最近出したこたえはこれだ。

『手料理をつくることによって、”手料理をふるまってくれる、よき彼女””よき妻””よき母”を想像されそうなのが、めちゃくちゃうっとうしい』。

 

いや、多分相手はそんなこと考えてないし…、単純に「手料理食べたい」って言っている部分もある(それもそれでいやなんだけど…)。だけどその先の「今後も期待してます!」感を勝手に感じとって、すごくつらかった。

(余談だが、この話をある女性の友人にしたところ、すごく共感してもらえたのは救いになった。)

 

反撃(?)として、「手料理って簡単にいうけどさあ。じゃあ私にも何かつくってよ、得意料理!」って、軽く言えたらよかったんだろうけど、それを相手に言えることもなかった。

 

すごく嫌味な言い方をすると、何かをしてほしい(今回は手料理)んだったら、まず「先にあなたは私に何をしてくれるんですか?」って思ってしまう。なんで手料理は彼女がつくらないといけないんだよ。求めるのなら、私は”あなた”がつくることも求めますけど。

…なーんて思う。ひねくれてると言われたらそれまでだ。

でも、今でも強い言説で「結婚生活を想像させる」手料理っていうのは婚活界でも強力アピール素材だし、婚活アプリのプロフィールには「料理が得意です」と書くと家庭的な女性だと思われるので必ず入れるべし!とか、未だに言われる。

 

料理と言えばもうひとつ、はじめて会う男性に自己紹介をしている時に(婚活をイメージして下さい)「得意料理はなんですか?」って聞かれるのもいやだった。

もちろん、前段の話で私が料理がすきだとか、得意だっていう話をしていたら全然いいと思う。だけれど、いきなり得意料理とか言われてもな…?そんなにはじめて会った人に期待する…?

私が、こたえたくないために「うーん、なんでしょう^^(笑顔のままで)え、〇〇(相手)さんの得意料理、逆に教えて下さいよ~!(あくまで今思い付いた返しのように言う)」と返答すると(あえて応えない戦法w)、たいてい黙る(黙るなw)か、「いやー、ないですね。結構難しい質問ですね」とか言われて、「いやそれ、あなたが私に聞いてきた質問だからね」と言いそうになるのをぐっとこらえたりしていた。

他にも何度か会った男性で、毎回「得意料理は?」って聞いてくる人もいて、(いや前この話一回したよね…?覚えてない?というかそんなに知りたい?めんどくさ!)と感じて、「その質問前もされてきましたよね」と言い返したこともあった(もちろんその後疎遠になりましたが笑)。

 

繰り返し言うと、別に料理がすきならその話をしたらいいし、いくらでもつくったらいいと思うんだ。「すきでやってる」なら。

でも、私はそんなにすきじゃないんだよね。その先の『よい嫁判定』に使われそうで。(そもそもそういう判断を下す人はまっぴらごめんだけれども。)相手のことを知ることは大事で、折り合いをつけて話もしたいと思うけれど、長期的にみて「自分にとって居心地よい人が残るか?」を考えると、いそいそと手料理をつくるのは私にとっては違うな。相手に求めるなら、自分が何をできるか考えて欲しいという、心の叫びをお送りしました。