To the moon and back.

関西在住30代OL。日々のつれづれをぼちぼち綴ってます。内容は、お買い物ログ・婚活のやきもき・仕事のあれこれ・読書記録・雑記(ただの日記)多め。

人生のひょんな分岐点

部屋に花を飾る習慣ができたのは、社会人2年目のある出来事がきっかけだった。

職場の友人が自宅に遊びに来てくれ、何故だか分からないが「将来何がしたいか」という野望を語る流れになった。普段は適当な話しかしていなかったのに。

「え~、野望?何やろう。あんまり思いつかない」と私が答えると、友人は「別に直近のことでもいいで。小さなことでも」と言ってくれたので、うーんと考えてみた。

「花のある暮らしとか…してみたいかも」

そんな言葉が口をついて出た。些細なことだけれど、本音だったと思う。花を飾るというのは、当時の私には妙にハードルが高かった。「ていねいな暮らし」ぶってるようにも感じられて、やや気恥ずかしかったんだと思う。花瓶を買って、花屋で花を選んで、枯れないように毎日水を替えてあげて…というのも億劫に感じたのかもしれない。すると、友人が呟いた。

 

「それやったら、別にすぐできるやん」

 

その言葉が、私には妙に突き刺さった。別に嫌な言い方をされたとか、呆れられた訳ではない。素直な感想。確かに、そりゃそうだ。

数日後、私は花を一輪買って部屋に飾った。花の生命力、みずみずしさを感じて、じわじわとその魅力にハマっていき、今に至る。

 

この話は劇的な出会いとか、衝撃的な出来事ではないけれど、未来の私の行動を変えている点で、ゆるやかなターニングポイントだったんだろうなあと思う。「劇薬」じゃなくて、「漢方」的な。…伝わるだろうか、このニュアンス。

 

 

ちなみにこの日盛り上がった私たちだが、友人は突如「音楽で生きていきたい」という夢を語ってくれた。唐突だったので驚いた。

音楽で生きるとは?と尋ねると、さらに予想外のストーリーが返ってきた。中学生だったか高校生だったか、その頃に作曲コンクールに応募して何と1位を獲ったらしい。レコード会社とも契約できるような内容だったらしいが、親に反対されることが分かっていたから、彼女は応募用紙の保護者サインを偽造して提出していたそうだ(私から見ると、彼女らしさ全開のエピソードなので抱腹絶倒したが)。優勝してしまったために、案の定応募したことが親にばれ、結果的にあえなく辞退したという。それからしばらくは音楽活動を辞めてしまった。

まずこんなすごい過去を持っていたことにびっくり仰天だったが、友人は自慢することもなく、こう言った。

「あの時にそのまま進んでいたら、どうなってたんかな~って思う」

後悔なのか、無念なのか、悲しみなのか、私は色んな気持ちを想像したけれど、

「もしかしたら人生が変わっていたかもしれないね」

と答えるだけだった。彼女も、

「この話、人に話したのはじめて。こんな話を晴ちゃんとすると思わなかった」

とつぶやいていた。同感だよ。

 

 

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そして現在。彼女は今、東京でシンガーソングライターとなっている。作曲活動を少しずつはじめ、動画配信でファンをつかみ、東京と関西を行き来してライブをして、私と一緒だった職場を辞めて、音楽で生きようとしている。自身が歌うだけでなく、著名な声優さんに楽曲提供したり、アニメソングの主題歌に起用されたりと活躍の幅を広げており、有言実行を地で行っている。まさかここまでとは思わなかった。

 

私の部屋で話したことがきっかけだったかは分からないが、彼女の活躍を目にすると、あの時の会話を思い出す。人生のひょんなことから、道は分岐していたのかなって。

彼女は劇的に環境を変えて日々闘っているのに対して、私はそのまま同じ会社で働き続けているし、前進か後退か分からない日もあって悩みは尽きない。けれど、同じようにもがいて前を向いている…と言いたいところ。頑張っている友人に恥じないように生きたいな、と思う。

 

余談だが、私があの部屋で「ドラムをやりたい(元吹奏楽部だったので)」と口にしたとき、彼女は「じゃ、バンドやる?ボーカルかキーボードはやるよ!」と提案してくれた。結局他のパートが揃わん!ということで夢物語で終わったが(笑)、アマチュアの私を一瞬でも巻き込んでくれたことが嬉しかったし、もしそのままバンドをしていたら私の人生も大きく変わった…かな?いや、彼女のマネージャーくらいはできたかもしれない。

 

すごく懐かしい話を思い出してしまった。久しぶりに連絡を取ってみようかな。