To the moon and back.

関西在住30代OL。日々のつれづれをぼちぼち綴ってます。内容は、お買い物ログ・婚活のやきもき・仕事のあれこれ・読書記録・雑記(ただの日記)多め。

私は現代の吉田兼好だった―

「つれづれなるまゝに、日くらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。」

 

と書いたのは吉田兼好兼好法師)だが、まさに今、私は同じ気持ちでブログを書いている。

 

 

…………ふむ。

ということは、私は実質、現代の吉田兼好なのではないだろうか。

 

 

 

 

…………すみません。本題に入ります(国文学者さんに怒られるよ)。

 

”つれづれなるままに”という思いでPCに向かっているが、最近私はブログの思わぬ効用に気付いた。

私のブログの9割は雑記なので、”心にうつりゆくよしなしごと”を衝動的にぶつけて書いている。ポジティブな気持ちもあれば、中にはネガティブだったり、怒りの心情を書き起こすこともある。脳内で「いやでも、○○ってどうなんよ?」「▲▲な出来事があって、悲しかったなー。」と独り言を呟いているのだが、最近、

 

「いやでも、○○ってどうなんよ?」”…と、私は考えた。”

「▲▲な出来事があって、悲しかったなー。」”と、私は考えた。”

 

というように、ブログ調にまとめようとする自分に気が付いた。いわゆるブログのネタ探し脳。最初の感情が主観的なら、ブログ調にすることで、第3者の視点での客観的な出来事に自動変換しようとしているのだ。

 

 

 

 

………ほぅ。これって、いわゆる『認知行動療法』じゃね?

 

 

 

ごめんなさい、大げさで(学生時代に心理学をかじっていたので、つい)。でも気付いた時はちょっと興奮した。

https://www.ncnp.go.jp/cbt/guidance/about 

(違っていることもあると思うのでご容赦を。「認知行動療法センター」のHP)

 

認知の歪みを正しく理解して、問題に対処していく。本質的なところは合っているんじゃないかと思う。認知の歪みを日記に書き起こして向き合う人、人とディスカッションして冷静になる人、ランニングで思考をクリアにする人など色々方法はあるが、私にはこのブログを書くのが大いに役立っている。

 

 

はあ、私は現代の吉田兼好であるのに加えて、認知行動療法の実践者になっているとは!(何度もすみませんw)

 

 

 

追記するなら。最初に心が受け取る「嬉しい」「悲しい」といった第1次の感情をちゃんと味わうことをしないと、「嬉しい・と私は思った」「悲しい・と私は感じた」という第3者の視点に変換しても効果はないのではと思っている。第1次の感情を見て見ぬふりをして無理やり抑え込んだところで、あとでしわ寄せが来るんだろうな。自分が受け取ったそのままの感情をどうにかこうにかするよりも、まずは抱きしめてあげることが大事なんじゃないかと思うんだ。そうすることで「私は自分を大切にした」という自己肯定感を育てられるし、自分自身に納得感が生まれるのだ。納得感がないまま生きるのは、とてもしんどいから。

このあたりは、後々ブログでも掘り下げたいところ。