To the moon and back.

関西在住30代OL。日々のつれづれをぼちぼち綴ってます。内容は、お買い物ログ・婚活のやきもき・仕事のあれこれ・読書記録・雑記(ただの日記)多め。

暇と私

今日のウイッシュリストはこちら。

★山本ゆりさんレシピ、レンジで目玉焼きをつくる

写真無し。実家ではいつもレンジで目玉焼きだったけど、一人暮らしをしてからはフライパンで焼いていた。改めてレンジでも作ってみたけど…やっぱり味はフライパンが勝るな(もちろん洗い物が減るのは素晴らしいです)。

★昨日購入の黒スウェットを着る

写真無し。な、なんとユニクロで500円でたたき売りされていて、二色を色ち買い(1回言ってみたかったんだ、この言葉。笑)した。ウルトラストレッチスウェットシャツ。

www.uniqlo.com

最近日中は半袖でもいい位暑いけど、夜はそこそこ冷える。薄着の長袖だと羽織が必要。1枚で着られて部屋着にもなるやーん、外にも着て行けると思い手に取ったのだ。下にタイトスカートを合わせてみたら良き。

★お菓子作りのあれこれを買う

写真無し。オール100均。ケーキクーラー、リングゼリーの型を買ってみた。ついでに揚げ物用の半月あみも買った(笑)。昨日母ととんかつ屋に行ったのだが、半月あみにとんかつが乗っているとやたらと美味しそうに見えるんだよな…。そばにはキャベツの千切りも必須だよ。ケーキクーラーに焼き菓子を載せたい。

★山本ゆりさんレシピのリングゼリーをつくる

仕事から帰宅して晩御飯を食べてからリングゼリーづくり。元気だなあ私。キッチンの整理をしていたら1年前の自粛時に買ったゼラチンを見つけたので、作ってみようかと思ったのだ。ちゃんとできるか不安だったけど、できそうな気がする。映えない冷蔵庫写真(笑)。

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★野菜フレッシュキーパーを試してみる

これも山本ゆりさんのイチオシとのことなんですが(どんだけ好きやねん)、セリアで売っていてやっとこさ購入してきた。

f:id:rosecosmos:20210422212421j:plain献立的にレタスとキャベツを買うタイミングだったので、ちょうどいい。なんでも、野菜の成長点を壊すことで成長速度を抑えられるらしい。シンプルだけどそりゃそーかという理屈。普段レタスを常備しているので、これから食べる度にフレッシュさを確認していきます(笑)。

★ハーブスのロイヤルミルクティーを再現する

昨日も書きましたが、私はハーブスのミルクレープが大好きなんです。いろんなミルクレープを過去に食べてきたけどやっぱりハーブスが一番だと思っている。勝手に。

そして同じくらい嬉しいのがハーブスのロイヤルミルクティー。氷がミルクだから、溶けないんだよなあ。ついミルク氷をストローで突きながらミルクティーを飲む私。ふと、これ家で再現できるのでは⁉と思い立って家でロイヤルミルクティーを作ってみました。出勤前にいそいそとミルク氷を作った私はえらい。

普段、ちょっと面倒くさくてロイヤルミルクティーって作らなかったんだけど、レンジを使えばすぐだった。家にリプトンのティーバッグがあったので、リプトン様公式レシピで。

brand.lipton.jp

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味は…美味しいけど、ミルク氷がすぐ溶ける!お店のはなかなか溶けないのに何でなん?どうやってるんやろうなーと思えたのが勉強でした。

★お花を入れ替える

3月にミモザ大漁祭りを開催して早1か月(単純に、ミモザの枝を購入したらものすごい数に切り分けることになり、部屋中にミモザを吊るしていたのだった…)、そろそろ生花が欲しいよということで買ってきた。春は明るい色が好きだよ。せっかくなのでチューリップグラスちゃんと、キャスキッドソンカップでお花尽くしのテーブルにしてみた。地味にこういう時間が好きです。
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…とまあこういう感じで、日々やりたいことをiPhoneメモにリスト化し、できたらチェックするという生活を続けて3年程経った。可視化できるのはとても良い。

こうやって淡々とやりたいことを叶える(素敵な言葉だよね)時、同時に「私って暇だな」と思う。ありがたくも仕事は定時であがれる環境だし、出勤前や退勤後に何をしようと自由。一人暮らしだから帰る時間も自由。どこに行こうが何を食べようが。特に同世代で家族を持つ友達を見ると、余計にそう思う。

そこには寂しさも同居していて、最近の朝活(花を見に行くこと)でも「気持ちいいけど寂しいな」と感じることもたくさん。何も悪いことしてないし、罪悪感なんて感じなくてもいいのに。でも狂おしいほど今の時間も好きなんだ。一人暮らしをして初めて知った心地よさだ。

では、私は「暇」の時間をどう使っているのだろうと考えた時、『感性&選択というナイフを研いでいる』という答えに行きついた。物騒なと言われそうな表現だな(笑)…。何を選択するにも、そこには快・不快の感情があって、自分が身を委ねて心地よいこと、好奇心いっぱいで知りたいこと、逆に首を突っ込みたくないことを瞬時に判断して行動する。その積み重ねが、いざという時の自分を助けてくれると信じている。RPGで、主人公がHPとMPの経験値を貯めるように。

もう少し突っ込んで書くと、私は最近過去の様々な出来事を振り返ることも多くて、「今後あの時と同じ場面になったら、私はこんな風に対峙するんだろうな」ということが少し見えていて、ちょっと成長したなと思うことがある。そして、他人との気持ちの交わりというか、魂の対話(…笑)を求めている気がする。端的に言うとそれは婚活のモチベーションにもなるし、家族への親愛の情や友情、他者への尊敬にもつながる。そうした場面に出くわした時のために、今力いっぱい根っこを張っているんだよ。「暇」を使って。

 

昔から、忙しいことがデフォルトな子どもだったと思う。

小学生の時は塾通いこそしていなかったけど、習い事をいくつかしていたので、自然と遊べる日は週2日ほど。習い事の先に友達がいたから、友達に会いに行くような感覚ではあったけれど。長期休暇以外はそこそこ忙しい子どもだった。

中学生は、特に中3は忙しさのピークだったと思う。今考えても、よくあんな生活できたなと思うのは中3の夏休み。毎日毎日、中2の秋~中3の夏までは7:30から朝練。すごいえらすぎる。コンクール本番までと塾の夏期講習が被ったため、親に頼み込んで塾も籍を残させてもらった。途中までお金を払うだけになってしまって申し訳なかったけど、その分めちゃくちゃ勉強したから元は取れたはず…。今考えると両親には頭が上がらない。朝9:00から晩23:00まで友達と授業を受けて自習をして、また朝から部活か授業…みたいな生活。そんなハードだったのに、塾の昼休みはクラスの女子全員で缶蹴りをしていた。今思えば相当シュールだけど(笑)、仲良かったし最高に楽しかった。間に生徒会の作業や合唱コンのピアノ練習をしていて、「晴ちゃんはどこにそんな時間があるんや?」と中学と塾が同じ友達に言われたことがある。部活を引退してからの方が自由で、いつでも勉強できるし、「余裕かも」なんて思っていた。そんなこんなで、受験シーズンの冬よりも夏が体力的には大変だった。でも私は友達付き合いで気を遣ったりやんちゃ男子が荒れている学校よりも、価値観の合う友達がいる塾が楽しかった人間なので(笑)、何の苦でもなかったな。

回顧録にもう少しお付き合いください。

高校生になると、進学校ゆえにとにかく「勉強」「テスト」「模試」が常について回っていた。社会人になってから同世代の子と喋っていて思うけれど、私がいた高校はかなり特異な環境だったんだなあと改めて思う。特異というか異常だったかも(笑)。その時はそれが全てだったし、今でも最高の高校生活だったと思っているけれど、何に重きを置いているかで高校生活は物凄く変わるんだなあという気づきが今でもある。行事も部活も全力で!という方針に背中を押されていたけど、私は朝勉強→授業→部活→帰宅して宿題→いつの間にやら翌朝というルーティンでよく寝落ちしていた(笑)。勉強か行事か部活かとすごーくわかりやすい学校生活。毎日何かしらのテストに追われていて、日曜日だけは何もせず(死ぬほど宿題出てたけど)、家でのんびりしていた。受験生になったらさすがに勉強しないとと思い学校に出向いたりもしていた。忙しい高校生で、3年間を駆け抜けた。

浪人時代!人生で一番勉強した1年(ちなみに次に勉強したのは高校受験の時だったと思う…笑)。忙しい、というよりは日々淡々と学習・自習。カリキュラムも決まっていたし、ある程度時間割は自分で決められたから、より多くなる自習時間をどうするのかが目下の課題だった。浪人当初はいやでいやで仕方が無かったけど、『受験は団体戦』の意味をすごく理解した1年でもあったと思う。私は高校時代の先生のすすめで志望大学とは別のクラスに在籍することになったので、クラスのみんなとは別の授業を受けるという謎の状況になり、イレギュラーに有難さもある半面寂しさが募っていた。そんなこんなで、私はなぜか文系志望なのに、理系クラスで志望大も全く違う人たちとひょんなことから仲良くなっていった。

そこから始まる私の最高の浪人生活。いやー、マジで、「浪人してました」と人に言うと「しんどかったでしょ、よく頑張ったね」的な反応をされるのだが、私からしたら「(受験をしなくていいなら←笑)もう1回やってもいいくらい、楽しい」1年だった。それくらい人に恵まれて、楽しくワイワイ勉強をさせてもらった。もちろん自習の時は真剣に籠ってやっているのだけど、「●●が遅くまで残っているからやらなきゃ!」という心理戦(?)の末、仲いいメンバー数名と私がいつも残るようになり、そうすると帰る時間が一緒になって喋るようになるという。自然発作的なものもあったけど、私の中で「この人たちと気が合いそうだから、一緒に帰るようにしよう」と狙った部分は大いにあって、自分の野生の勘、なかなかやるやないかと今でも思っている。

一番楽しかったのは、予備校近くの大学のミーティングスペース(ガラス張りで備品付)に勝手に忍び込んで自習の続きをやっていたことだろうか。確か夏休みの頃だったけど、予備校は21:00に閉まるので20:30頃に予備校を出て、大学に潜り込み、ホワイトボードなど備品も使いながら自習をグループでしていた。今思うと警備がザルすぎる(言い訳w)。外から見えるオープンスペースで赤本を開いていたので、明らかに大学生でない事は周知の事実だったと思うが(笑)、それでも出て行けと言われたことは一回もなかった。ああ、楽しかったなあ。。。

そんなこんなで覚えた知識を披露したり、お互いの将来の夢を語ったり、好きな人ができたり(笑)、私にとってはかけがえのない時間だった。ひょんなことからそのグループの男の子が同じ志望大・志望学部と分かり、合格発表前に受験番号をさりげなくヒアリングされ「落ちてたらどうするんだよ!!あんたも教えろ!!!」とヤイヤイ喧嘩していた子がいるのだが、無事お互い合格し、なぜか同じサークルに入り(趣味嗜好違うのでマジでびっくりした)、数年前にはその子の結婚式にも出席した…。人生どこで出会う人とどうなるか分からないもんだよ…。

長くなった。そんなこんなである意味一番青春ぽい浪人時代を忙しく過ぎ去り、大学に入学。大学もまー忙しかった。一般的に大学は人生のモラトリアムと言われるけれど、私は授業・教職・サークル・研究・課外活動で毎日廻していた。それが4年間続いた。通学に2時間ほどかけていたのにも原因はあるのだが、楽しくて授業をほぼMAXまで受けていたし、なぜか大学途中から教職を取りたくなりさらに授業を増やし、サークルなのに実質体育会部活動と変わらぬ練習量のサークルに入ってしまった。サークルの追い込み時期、朝10:00~夜22:00を週6!(日曜日は作業日なので実質週7!)…という意味不明なデスロードをみんなで歩いていた。今考えてもおかしい。目が据わっていた。

唯一そこまで負荷をかけなかったのはバイトなのだが、バイトをして勉強ができないということにならないようにと親も思っていてくれたので、本当にありがたかったと思う。なぜか大学4年で課外活動の比率も増やして、3月までフルスロットルで動きまくっていた。

大学はやっぱり、人のつながりが良かった。今でも一番会って喋るのは大学の友達だし、みんな頑張っているんだなーと思わされる。出会いが全てだ。

そんな大学時代でもストップした期間はあって、それは大学3年生の夏休み。サークルの先輩とケンカをして引きずっていて、進路もそろそろ決めなきゃだし、色々悩んだ挙句私は自己肯定感が低いということに初めて気づく(それも学部の友達が指摘してくれたという経緯で、ホントにありがとって感じだった…)。まー、大学もそんな今用事ないし、インターンでもしとくか。と思い応募しまくり、結果インターンばかり行きまくっていた。結局何もしてないことは無いっていう。

でもそれが良かったみたいで、インターンでできた友達とすごく仲良くなってユニバに行ったり、今でも友人関係を続けていられる子もいて、私の転機だったと思う(先輩とは自然に仲直りして社会人1年目くらいまでは遊んでもらった。笑)たまには精神的に止まってみることも大事なんだな、と精神の夏休みを過ごしていた。でもあとはずーっと動いてばっかりだったな、本当に。動きすぎて、最終的に就職することがとても怖くなり、”就職前ブルー”発出。当時の友達曰く、まあまあ病んでいたらしい。3月に病むのかよ、と自分でもツッコみたくなるが、就職しばらくしてお世話になった方から「余裕こいてるより、晴さんみたいにあれくらい悩んで社会人になる方が、上手くいくねん。だから心配してなかったですよ」と言われて、笑った。確かに、折られる鼻も無かったので良かったのかもしれない。

ちなみに書きたいから書くけど、この時の就職前ブルー、自分の人生的にはちょっと大きな影響を与えたことがあって、社会人デビュー前日の3月31日に大学時代の友達(男の子)が珍しくLINEをくれたのだった。彼は院進学で環境はほぼ変わらずだったのだが、私が荒れているのを直近数か月見ていたので「晴ちゃんなら大丈夫だよ」と励ましてくれたのである。そのLINEに私はコロっと落ちてしまい、……そこからまさかの数か月片思い生活が続くのであった。ヤバくない?

紆余曲折あって…その彼には当時ぞっこんの彼女がいて知り合いでもあったので、あーヤバい沼に落ちてしまった。あーあーあーと壊れた機械のように思い悩むこと数か月。まあ片思いは片思いで楽しかったんだよね。そんな時代が私にもあったんです。今では考えられないけど。彼は彼女がいながら月1くらいで遊んでくれるので何なん⁉(私が彼女だったら絶対無理だけど今遊んでくれなくなるのも絶対無理)と相手と自分にキレながら友人関係を続けていたら、ある夏の日~♪「彼女と別れてショックなんだけど」とまさかの別れた報告を本人から受ける。「いやどんだけ…仲良いねん」(そして恋愛対象外やねん)とツッコみたくなって嬉しいような悲しいようなだったけど、それから数か月後、まあ結局ちょっとだけ付き合ったんですが。こうして書いてみると結構青春やな。私も青かったんや。

ま、とっくの昔に別れて、彼はもう既婚者であることをSNSで知った(奥さんのフィードでタグ付けされて流れてきた。時代だ)んだけど、そういうこともあったなあ。別れた時まあまあ自暴自棄になってかなり引きずったけど、無理やりショック療法(なぜか登山)で叩き起こしてくれたのも大学時代の友達だった。

恋愛話が長くなりました。私、自分では恋愛ネタが少ない方だと思っているので、消化した出来事は書きたくなっちゃうんだよね…(笑)。

 

さーてさてさてやっと社会人になった私だけど、就職してショッキングだったのは「休日の過ごし方が分からない」ことだった。今まで、土日もあれだけ誰かと会って喋ってご飯食べてを繰り返していたのに、急にぽーんと社会人扱いされ、休みを与えられる。よくハード系研究室出身の理系友達が、就職してから「院生時代と比べたら、会社は休みも給料ももらえて最高!!!」みたいなことを言っていたけど、ちょっと似ているかもしれない。え、何すればいいん?分からん!とりあえず、初週はインターン時代の友達に泣きついて会ってもらった。翌週は先述の彼に飲みに行ってもらった(笑)。翌々週は…と、とにかく会えそうな人に片っ端連絡していたのも覚えている。合間に電話・電話・電話。その過程で、東京に行った子には会えないんだなあ、と思ったりもした(本格的に会えなくなるのはGWだったけど)。たまたま仲の良い友達は関西に残る率が高かったはずだけど、気軽に会える人が減ったことに切なさもあったり。で、それでも平日休みは会える人はかなり限られるので、とりあえず映画でもみるかーといそいそと出かけて、ふーん普通かなあと帰ってきたことも覚えている。

「暇」との付き合い方をようやく考えるようになった。私、今まで人と会うのが趣味みたいなものだったんだなあ、と。人と言っても、”心地よくいられる”人と一緒に居るのが条件な訳で。あほみたいに人と会いまくっていた生活から激変して、心がしおれていた。夏くらいまでは割とそんなモードだった。会社の新しい人間関係にも気をつかっていて、ようやく夏頃に同期とも仲良くなれてきたのも大きいと思う。1年目の夏、連休を10日もらえたので、岐阜旅行・沖縄旅行・東京旅行と各地へ出かけた私を見て母は呆れていた(「あんたよーお金持ってんなあ…」)。最高の夏休みだったな。

だいぶ慣れ始めたのは社会人3年目くらいだろうか。いろんな価値観に出会い、プライベートでいいことも悪いことも経験し、それなりに丸くなっていったのも(※当社比)その頃だと思う。そこから更に数年たった今でも、「暇」は時に私を不安にさせるし、「このままでいいのかな」「ずっとこのままだったらどうしよう」と考えることがある。つまり、周囲の(ライフステージの)変化が羨ましくなってくるのだ。仕事から帰宅したらパートナーがいるってめちゃくちゃ良いよ、と力説していた男友達。幼い子どもがいて外では会えないから家に遊びに来て、と言う女友達。「今日の晩御飯、何にしたんやっけ?そうだ、肉だった!」と叫んで帰宅していく上司(※これはリアルに今日聞いた会話です。笑)。そういうの、全部、私にはない。「暇」さは、そういう部分にリアルに直結している。

でもね、「パートナーがいないから私にはこれができる」「家族がいないから私は自由に~する」という風には、考えたくないのだ。多分、案外パートナーがいても家族がいても子どもがいても出来ることはできるし、興味の対象も変わっていくのだろう。そして、パートナーや家族がいなくても、私の考えだって変わっているのだ、きっと。だから「暇」の捉え方も変わるし、今日は『暇=感性と選択というナイフを研いでいる』だし(笑)、明日は明日で捉え方が変わっているのかも。そう考えると、毎日今と同じ自分なんて有り得ないのかもしれないなあ。遠い未来は相変わらず見えないけど、明日・明後日・今週末くらいの、ちょっと先の予定を楽しめる力があるだけで、いいんじゃないかなあと思うんです。

 

あれもこれも書いて(今日はそういう気分なので許せ)恐縮ですが、数年前に私の友達がSNSでこんなことを書いていた。

「永遠の愛の誓いというものがあるんじゃなくて、この人と一緒に今日もいたい、明日も”きっと”一緒にいたいと思う”だろう”、明後日も…… 一緒にいたいという気持ちを『毎日』更新し続けることが、相手との関係を続けるということ」※要約

これを読んで、はぁーっとなった。これはすごい発見だと。

よく「一生仲良しでいようね♡」とか「うちらはズッ友だよ★」みたいなフレーズを聞く度に、「そうだよね」と笑顔で頷きながら、内心ちょっと社交辞令を感じていた。いやね、本当に仲良く”したいな”とは思っているんだけど、同調が必須じゃんか。時にそれが破られた時、「あんなことも言ってたなー」なんて、やさぐれたくなるんだろう。
でも結局は、毎日の積み重ねが人生をつくる。今ユニクロのCMでも言ってるじゃん、綾瀬はるかちゃんが「ふだん着が日常になる」って!(違うw)”永遠”はぼんやりしているけど、”毎日”は現実なんだと思う。現実でかつ”選択”なんだ。だから、目の前の相手と向き合うこともできるし、パートナーシップでお互いに向き合い続ける選択をした人がとる一つの形が結婚なんだろうけど(もちろん一緒に居続けるという意味では友達も家族もそうだし職場もそう。関係性は何でも一緒なんだろうな)、それができなくなって破綻することもある。”永遠の愛”が壊れるより、お互いの”選択”がすれ違ったという方がしっくりきそうだ。うーん。”永遠”は後から振り返った時の結果論で、”選択”は連続性があるというか。

じゃあ、ズッ友は意味ないんか?ああ?と心の中で意見する声が聴こえます。そうやねー、多分ね、私の解釈では、”ズっ友”は「祈り」なんです。また概念が出てきた。お互いに向き合う選択をし続けていたいよね、っていう祈り。そうあればいいなと静かに願うから、声に出して言いたくなるんじゃないだろうか。そう考えると、永遠フレーズは嫌じゃなくなったわけです。祈りとか宣言とか。こうしたいという意思のもと、自身の選択に誇りを持つために、言葉で伝えること。

だから私の場合、”これからも友達でいてね”って出てくる言葉は心の底から本心だし、「あなたと一緒にいる未来にしたい」という感情の選択であり、「そんな未来であってほしい」という祈りであり、今日も明日もそれを選び取り続けるよ、ということなんだと思うなあ。”愛している”も同じだよ。人間だから先のことは分からないなんてドライに聞こえるかもしれないけど、先が分からないこそ今一緒にいることを選択するって素敵じゃない?

 

9073文字も書いていたらしい。驚き。「暇」論から何だか壮大な話になったが、私の中では繋がっていて、興味の尽きないテーマだと言える。うん、今日の私はこういう結論。明日の私が同じことを思うかは分からない、それでいい。予想できる未来より、予想できない未来の方がカッコいいし面白い。