先日、女友達と「ふとした時に元彼を思い出す現象」(というのは私が勝手に付けた名称です)について話をした。仕草や言葉、「あの彼ならこうするだろうな」という想像など。そこで、友達がふと呟いた。
「でもさ~、実際会ったら『何でこんな人と付き合ったんだろう?』って思うんだよね」
私「………。それって、元彼と会ったことがあるっていう●●(友達)ちゃんの実体験?私は元彼とは絶縁するから、久々に会ってどう思うかって想像できないな」
友達「そう、実体験。私は別れてから元彼と会ったことがあるけど、つくづく『何でこんな奴と付き合ったんだろう?』ってなったよ。『マジでクソやな…』って思ったりしてw」
私「(爆笑)。実際会ってみるとそんなもんか」
友達「そうだね。別れた後は『あの時は楽しかったな~、良かったな』って色々思い出すけど、実際に会ってみたら、”好きだった人はもういないんだ”って感じてさ」
かつて好きだったあの人は、もういない。
私「…なるほど。めちゃくちゃ分かりやすいね。自分が思い出すのは、美化された虚像なんだろうな」
友達「そうそう。付き合っていた時の彼と、別れた後の彼は、全く違う人なんよ。幻。」
何だか印象深かった。
同じ人間のはずなのに、心を通わせたと思っていた人が知らない世界の人になっているという事実は、未練とはまた異なる感情で、自身をセンチメンタルにさせる。
ポエミーな書き方をすると、かつて好きだった恋人は、自分とは交わることがないパラレルワールドの世界に入ったんだろう。本ブログでよく引き合いに出すアーティスト・Official髭男dismは、ヒット曲『Pretender』で「君とのロマンスは人生柄 続きはしないことを知った」「出会える世界線 選べたらよかった」「繋いだ手の向こうにエンドライン」と唄っている。そのように、別れの後お互いに交わることのない世界線に突入したんだと思う。
だからこそ、心を通わせているとお互いに思える人との今があるというのは、とてつもなく幸せなことだと思う。それは虚像ではなく、自分だけが実感できる確かな実像なのだ。