To the moon and back.

関西在住30代OL。日々のつれづれをぼちぼち綴ってます。内容は、お買い物ログ・婚活のやきもき・仕事のあれこれ・読書記録・雑記(ただの日記)多め。

あの夜景を超えていけ

忘れられない夜景がある。

 

 

もう別れてしまったけれど、昔つきあっていた人と旅行先で見た夜景だ。

私が「旅行に行きたい」と言った際、彼が提案したある高原。長野県のちょっとした夜景スポットで、某大ヒットアニメ映画の聖地のひとつとされている。

日々忙しく過ごす中で心が疲れて、仕事を休職した彼が口にしたことだったので、私は二つ返事でOKしたことを覚えている。

 

 

夏と秋のはざまに長野県を訪れた私たちは、その高原へ夕暮れ時に着くよう時間を調整し、なかなかの山道をドライブして、ようやく山頂に辿りついた。意外と知られていない場所のようで、人もほとんどおらず貸し切り状態だった。

特に案内図もない中で探り探り進んだ先に、その夜景はあった。

見る景色は言葉を失うほど美しく、壮大な湖の周りに、ぽつぽつと灯りがともっていくのが見えた。はしゃぎながらたくさん写真を撮り、「あの山はなんだろうね~?」なんて平和な会話をしながら、楽しそうな彼を見て心底ほっとしている自分がいた。

あっという間に日が暮れて肌寒くなったので、車に戻り少し道を走らせたのだけれど、運転中ちらりと真っ暗な中に輝く夜景が見えた。「暗くなってきたね、きれいだねえ」とのんびりつぶやくと、急に彼が「行く?」と口にした。何のことか分からず「え?」と答えたのだが、彼はそれを肯定と受け取ったのか、その場で車を停止させた。どうやらもう一度夜景を見たいらしい。

そのまま車中を飛び出し一緒についていくと、日が完全に沈み、ライトアップされた夜景が再び目に飛び込んできた。都会とは異なる、主張しすぎない光がじんわりと心を温かくしてくれる、そんな風景。すべてを包み込むような景色を惜しむように目に焼き付けた後、高揚を胸に私たちは下山した。途中、野生のシカに遭遇して硬直した私を、彼が面白がっていたのを覚えている。

 

その日の晩、リラックスしながら宿の部屋で過ごしていたのだが、もう寝るのかなと思っていた矢先に、彼がぽつりぽつりと今の心境を語り始めた。実は今仕事でこういうことになっていて。家族にはこう言われて。自分はこう考えていて。…ということを、ゆっくりと話してくれた。その内容は想像を超えるものも含まれていて、的確な返答ができずただ頷くしかできない自分がもどかしかった。ひととおり話し終えた彼に、「話してくれてありがとう」「なにかあったら伝えてね」としか言えなかった。普段胸の内を明かさないひとだったので、きっと勇気が要ることだったのでは、と今では思う。でも話をしてくれたこと自体が、心の琴線に触れることができたようでとても嬉しくて、(少しは必要とされているのかな。)とぼんやり思いながらその日は眠りについた。

 

 

 

 

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この話はもう数ヶ月前のことで、彼とはさよならすることになった。彼が今どこで何をしているかは全く分からない。別れた直後は何も喉を通らず、毎晩泣き続けた(14日間という自己最高記録を達成した。笑)けれど、少しずつ自分自身を立て直していくことに注力した。

 

そしてついこの間のこと。眠れない夜が続いていたとき、私はふとあの高原の夜景を思い出した。実は彼と別れてから、私にとっては長野県そのものがタブーになってしまい(笑)、ニュースで見てはチャンネルを変え、新聞で見てはすぐに閉じ、本屋の観光ガイドコーナーでは中部地方を意識的にスルーするという徹底ぶりだった。私の生活圏で、彼と訪れた場所はおのずと記憶が上書き保存されていたけれど、生活圏外となると強烈に記憶が残っているので、目にすることがつらかったのだ。

 

きれいだったな、あの景色。

今なら見てもいいんじゃないか。

 

そう思った私は、おもむろにインスタグラムでその高原の名前を検索にかけた。自分でも驚くほど自然な行為だった。あんなに禁止していたのに。

案の定、出てきたのはプロと見まがうほどの素晴らしい夜景写真の数々で、このご時世なので投稿数は減ってはいたが、「コロナが収まったらまた行きたいな。」という投稿も散見された。かつての自分と同じアングルで撮られた写真を見ると、当時の情景と気持ちが一気に呼び起こされるのが分かった。

多分、夜景を見てきれいだと感じるのは、もちろんその風景の素晴らしさがあるけれど…その時誰と見たか、どんな思いで見たかで随分印象が変わるんだと思う。私にとってはまだまだ思い出がつまりすぎていて。あの1日の記憶がぶり返したことで、やっぱりその晩は泣いて寝落ちすることとなった。

 

 

この3月くらいから、「心の琴線に触れる」ということを最近ずっと考えていて、それは自分で意識してできるものではないし、意図的につくるのものでもないけれど、そうした瞬間に触れた時、交わしあった時に、私はとてつもない喜びを感じるんだと思う。恋愛に限らず、仕事でも友情でもなんでも。そうした行為に人生の喜びや豊かさを見出せるようになりたいし、だからこそ、浮き沈みがあっていい、迷っていいと思うことにする。

 

 

 

  今回書いた内容は、私の大切な記憶として心に眠らせていた(というか思い出さないように蓋をしていた)けれど、最近自分の心にノックしてくるような感覚に陥っていたので、ちゃんと向き合ってみてもいいのかなと思い、記しました。(まあ当時の彼が読む可能性は低いと思うので…。笑)

 

ブログを書き始めて1ヶ月。文章を書くということが、これほどまでにカタルシスになるとは思いませんでした。このブログ、確かカテゴリのひとつを「美容」に設定しているにも関わらず、カテゴリガン無視な記事を書き続けているけれど(笑)、心の整理や吐き出し口として活用するのが自分には合っているのかな、と思います。自己紹介文もなくただ淡々と描き続けているブログですが、それでも読んで下さっているあなた、ありがとう。これからも書きたいことを書き続けていきます。