To the moon and back.

関西在住30代OL。日々のつれづれをぼちぼち綴ってます。内容は、お買い物ログ・婚活のやきもき・仕事のあれこれ・読書記録・雑記(ただの日記)多め。

生徒会のこと

実家に帰省すると、中学までの思い出が色々と蘇ってきた。思春期ならではの暗黒時代として心の中に封印していたけれど(笑)、意外と楽しかった思い出もあることに気が付いた。

その代表的な思い出は『生徒会』と『塾』。この2つのコミュニティには、随分と精神的に救われてきた。両者のコミュニティは未だに繋がりがあり、ちょくちょくご飯に行っていたりする。

生徒会に入ることになったきっかけはひょんなことで、中1の時に担任の先生から「やってみない?」と声を掛けられたことだ。思ってもみなかったが、面白そうだという理由だけで「やります」と答えた。ただ結構大変だったのが生徒会選挙。私の代は定数しか立候補しなかったので信任制ではあったが、朝早く登校して、学校の玄関で 「◎◎中生徒会 〇〇候補 1年△組 ◆◆◆◆」というたすきを付けて立候補演説をしないといけなかった。しかも投票日まで毎日である。デリケートな年頃(?)だし、恥ずかしさがすごかったが、同じく立候補するメンバーと互いに励まし合いながら何とか乗り切った。そのたすきも手作りしないといけなかったので、クラスで書道が達筆な子がわざわざ書道セットを持ってきてくれて、模造紙で作ったたすきに私の名前を書いてくれた。このたすきは今でも記念に実家に眠っている(笑)。

更に大掛かりなのが、全校集会での立候補演説。壇上で公約を喋るのだが、自分の演説の後にクラスメートの応援演説が必要で、「◆◆さんは当選するにふさわしい方です!」と息巻いて喋ってもらうのだ。中1と中2で2期務めた私も、自分の演説より、どちらかというと応援演説を誰にやってもらえるかがドキドキだった。結果的に1期目は書道を書いてくれた子が、2期目は仲良しの女の子がやるよ!と言ってくれたので事なきを得た。今思えば色々と胸に来るシステムだ。進学した高校ではそうした選挙はしておらず、知らぬ間に生徒会メンバーが決まっている感があったので、拍子抜けしたのを覚えている。

今でも実際の議会選挙を見ていると、当時の生徒会選挙のことを思い出す。大抵の人は街頭演説を素通りするか冷笑するが、私は小さな学校で演説していたときの気持ちを振り返って、静かに聴き耳を立てるのだった。

生徒会では学校行事の準備や、当日の司会進行やアナウンス、物品の準備まで、ありとあらゆることに取り組んだ。入学式や卒業式の祝辞を述べたり、「3年生を送る会」のくす玉を作ったり、駅前での街頭募金やボランティアに取り組んだり。幸い1期目も2期目もメンバーに恵まれて、嫌だと思ったことはない。部活以外の先輩・後輩というのも当時は新鮮で、部活が嫌な日はうだうだと生徒会室で皆と喋っていた。

 

中2から中3にわたる2期目も、私は生徒会を続投することとなったが、ある晩先生から私の自宅へ電話がかかってくる。

「もしもし。晴、生徒会のことなんやけど」

「はい」

「残り中2の女子メンバー二人のうち、一人はAがやると言ってくれてて」

「そうなんですか!」

Aちゃんは塾のクラスも一緒で仲良しだったし、芯が強くしっかりしているから、この上ない話だった。

「もう一人を決めかねててな。それで…Bはどうかって話を先生たちではしてるんやけど、どうやろ?」

Bちゃん。この子は、私が中学時代に一番密にかかわっていて、部活のパートも一緒。いわゆる常に一緒に行動する子だった。しかし…。

「…う~ん…」

私も正直に言ってしまった、とは思った。Bちゃんは人当たりがいいが、内面がめちゃくちゃ気難しい所があり、私も接するうちに性根疲れ果て、中2でクラスが離れてほっとしていたのだった。この穏やかな生徒会にBちゃんが入ってくる…。

「私は、正直ちょっと…」

意思をこめてはっきりと告げたのを覚えている。電話越しの先生は、普段このようなことを滅多に言わない(というか私は普段、Bちゃんと行動を共にすることが多かったので)私に驚いていた様子だった。そしてしばらくの沈黙の後、先生が言った。

「……じゃあ、Cはどう?」

今思うと、先生たちも複数の候補を立てていたのだと思う(選挙がただの人気投票になったら困るので)。Cちゃんは、普段めちゃくちゃ喋るわけではないけれども、小学校から知っていて部活も一緒。きちんと仕事をするし、私はとても気が合う子だと思っていた。

「Cちゃんだと、嬉しいです」

神妙に言葉を選んで告げると、先生が言った。

「じゃあ、晴に頼みがあるんやけど。Cをスカウトしてくれへん?」

「え、私がですか?」

急に大役が来た。確かにCちゃんは、先生の説得だけでは「私はいいです」と断ってしまいそうなふしがあった。

「Cに電話かけられそうやったら、かけてみてくれへん?」

まじかーーーー。でもやるしかない。分かりました、と言って先生からの電話を切り、少し問答のシミュレーションをして、私はCちゃんの自宅へ電話を掛けた(当時ケータイも持っていないので、連絡手段は家電なのだ)。

 

「もしもしCちゃん?晴です。突然ごめんね」

「晴ちゃん⁉どうしたん?」

電話越しのCちゃんは驚いている様子だった。そりゃあそうだ、私がCちゃんに電話をすることが自体が初めてだった。私は中学生なりに丁寧に言葉を選びながら、生徒会を続投すること、他のメンバーを探していること、そしてCちゃんにもぜひ立候補してほしいことを告げた。Cちゃんの返事は、一旦保留…だった気がする。けれどその後すぐ、「やってみようかなと思う」との答えをもらうことができた。

私は、先生とのやり取りがあったことをCちゃんには伝えていない。けれど、未だにCちゃんは私に、「あの時晴ちゃんが電話かけてくれなかったら、生徒会には入ってなかったし、こうして皆と遊んだりしていないよね」と言ってくれる。そう声をかけてもらえることに、私は安堵したものだ。私もCちゃんがいない生徒会なんて考えられないので、勇気を出して誘って良かったと思う。アラサーになっても旅行に行けるような繋がりになるなんて、当時は考えもしていなかったな。もし私が結婚式をするとしたら、生徒会の皆は最前列のグループにするからと面白おかしく言っている。幼馴染のよしみでね。

似合う服・似合わない服

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中身が思った以上にかぼちゃだった。

 

最近の心の癒しは、ファッションスナップを見ること。とりわけ、自分好みのファッションをした人のインスタを見つけると即フォローしてしまう。オンラインサイトもめぐる中で、自分に似合う・似合わない問題は出てくるのだが、覚書としてまとめてみたい。※似合う、似合わないの準拠はパーソナルカラー『Summer』と骨格診断『ストレート』。顔タイプ診断というのはやったことがないので分かんないです。

 

★私に似合うとされて、実際似合うし好みなもの

〇シャツワンピース…永遠の私の味方よ。特にサファリシャツな。これからも愛してるぜ。

〇Iラインワンピース…すとんと落ちるタイプ。実は持ってないけど、好きは好き。

マーメイドスカート…タイトな部分が細見えする。実際一着持っているのだが、おばあちゃんに「やせたか?」と言われた代物。さすがです。

〇ストライプ柄…フレンチシックなものが好きだけど、横じまはあまり似合わないんだよなあ…。着るなら縦じま。

〇レザー…本革のレザージャケットが欲しい。何年もかけて育てられるやつ。レザージャケットだけは合皮はやめなさいっていうよねー。

〇ポインテッドトゥ、レザーの靴、スニーカー…靴は何でも大好き!

 

★似合うとされるけど、好みでは無いもの

〇ストレートパンツ、センタープレスパンツ、ブーツカットパンツ、テーパードパンツなど…私。全然持ってないや。スカートやワンピースの方がときめくんだなあ。とか言って、数年後に好みがガラッと変わっているかもしれないが。

〇タイトスカート…足が開かない(開くなw)のが嫌で、一着買ってみたけど放棄してしまった。

〇ラップスカート…巻く意味が分からない←

〇トレンチスカート、マリンスカート…ボタンは別になくていい←

〇カシュクールワンピース…一時は好きだった。今は胸元はシンプルイズベスト。

〇コットン100%…これは好きではあるけど、洗濯したらしわしわになってしまうのに懲りた。もうコットン100%は買わない。

〇デニム全般…質感があまり好きじゃないのか、全然持ってない…。

 

★似合わないとされるけど、好きなもの

フレアスカート…スカートと言えばこれじゃん?似合わないと言われたらキーっ!となるけど(?)、最近似合う条件のものが分かってきた。ウエストラインだけIラインで、ウエストより下がフレアなもの。マーメイドスカートとか!しかし、その条件を満たしたスカートは高いということも分かってきた…

※一回チャレンジしてみたいけど手が出ない、憧れスカートブランド『SHE Tokyo』。実物もめちゃんこ可愛かった…。

she-tokyo.jp

〇プリーツスカート…年中好き。残念ながら似合わないそうだ。3着くらい持ってるけど。気にせず毎日履いてる。

〇とろみ素材…好きだけど、身体のラインが出てしまうというのはよく分かる。最近減らしつつある素材。

 

秋になって、急に着られる服が多くなって嬉しい。外に出かけやすくもなって、休日は朝と夜で着替えることもある…そういう時の自分って、結構元気だな。少ない秋を謳歌できるように、私は今日もクローゼットを吟味する。

乾いた心

9月末までの秋休みは相談所での婚活をしないと決めていたけれど、今日は1件男性とのアポがあった。私の近況をみかねた友達が、高校時代の同級生を紹介してくれたのだ。友達が調べてくれた結果、相手は今婚活モードではないことが分かったので、「友達つくる位の気持ちで気軽に会ってみたら?」と言ってくれたのだ。

特に前情報も仕入れず、その場の勢いで挨拶をして2時間ほど喋った。正直な感想をここだけに吐き出すと、途中までは共通の話題も見つかり、とても楽しかった。ただ後半になるにつれ、彼が自分と私の仕事内容や労働環境/条件の違いをずっと比較してきて、げんなりした。「晴さんみたいな仕事はできないですよ~」そこまではいい。けれど「僕にはできない」「その△△(私の労働条件)、僕は絶対嫌だな」とか、私を持ち上げているように見えて、何となく蔑まれている気分になって、腹が立った。誰もあんたに同じ仕事をしろなんて言ってないが。だんだん頭に来て、途中で「民間だとこういうのは普通ですけどね~w(※彼は教師)」と言い放った私も私だが。

悪い人ではないし、悪気がないことは分かる。だからこそ、何気ない一言で相手の考えが分かってしまって、がっかりした。相手の気が回らない、想像力が足りないことに目を瞑らないと婚活なんてできない。私だって無意識のうちに相手を傷つけているかもしれない。でもね、少なくとも私の友達はこんなことは言わないよ(言わないからこそ今友達なんだろうが)。残念だな。一応、相手と友達にお礼のLINEをしておいた。こうして少し戻ってきていた、新規(?)の人と会う気力が、薄れていく。

 

By the way.  毎年の大晦日、私はその年の「すごく楽しかった、今後も忘れたくない出来事ベスト5」みたいなものを考える。昔は手帳に書いていたけど、今は忙しいので心の中で。で、2020年は何がランキングするかな~とふと思い立って考えたら、何件ランクインしたと思いますか?(誰に聞いてるんだろ)

考えたら、今年は今のところ、2件しかなかった。2件かあ。今年あと3か月と考えると、少ないなあ。ささやかな楽しみや喜びは数えきれないほどあるし、手帳にも書き記しているのでちゃんと思い出せるのだが、飛び上がるほど嬉しかったり泣きたいほど笑えたことが、あまりにも無い。直近の2019年と比較してしまうけど、去年は紆余曲折あったが心が潤う出来事がたくさんあった。でも今年は、年明けからずっと心が乾いたままな気がする。

日ごろの小さな幸せに感謝をとか、そういうのは耳にタコができるほど聞かされてきたし、自分一人でいて幸せだと感じられなければどうのこうの、というのは分かっているんだ。でも、ささやかな幸せ貯金だけでは乗り切れないことも多分ある。人生山あり谷ありなので、たまには「うわ、めっちゃ嬉しいー!!!」って出来事がなかったら、倒れてしまう。そんなことを思いながら、私は去年のカレンダーをめくり、「去年の今日は何してた?」を時折想像するのだ。前に進むための後ろ向きな選択。

 

 

初めてのオンラインライブ

ヒゲダンのオンラインライブを視聴するために実家へ帰省。家族曰く、何とこのためにテレビを買い替えたという。実際目の当たりにすると、32インチから65インチになっており、映る顔や文字がでかすぎてちょっと笑った。

昨日から体調が思わしくなくずっと寝ていたのだが、オンラインライブは寝転びながら見られるのも良かったし、部屋を真っ暗にすると映画のような臨場感が出て良かった。どの曲も良かったけれど、「ビンテージ」の照明がキラキラしていて、雰囲気に合っていて良かったな。コロナにならなければオンラインライブなんて考えられなかったし、せいぜい映画館のパブリックビューイング程度だっただろう。新しい可能性だ。でも同時に、リアルな興奮には敵わないと思っちゃったな。お茶の間で観賞できるのも素晴らしかったけどね。

ピスタチオグリーン

ここ1年で好きになった色、グリーン。中でもくすんだグリーンが好きだ。今までは見向きもしなかった色なのにな。パーソナルカラー的にはブルー寄りのミントグリーンの方が似合うのだが、絶妙にくすんだ黄味がかったグリーンを見るとつい手に取ってしまう。

今まで好きだった4大色(?)はピンク、赤、青、紫。グリーンを好きになったのは、去年に買ったシャツワンピースの存在が大いにある。お気に入りすぎて、当時自分が写った写真はほぼその服を着ている。アウトレットで買ったのだが、最初ブラウンとベージュを試していて、ついでにグリーンを着てみたら店員さんにも「お客様は絶対その色ですよ」と言われた。一緒にいた家族にも推されて購入し、今に至る。ぼーっと♯ピスタチオグリーンでインスタを眺めるのが楽しい。情報の海に溺れてみるのも悪くない。

婦人科での出来事

次診る時は久々に検査しようか、とかかりつけの婦人科の先生に言われて早3か月。緊張しながら婦人科へ向かったが、無事に終了。エコー画像を確認したら、諸々正常になってきたらしい。

「ここ見てみ。たまご(先生はそう呼ぶ)が乱立してないから大丈夫やな」

「…乱立してないほうがいいんですか?」

「そやで。蓮根みたいに見えてたらあかんのや」

蓮根と言われて思わず噴き出していたら、診察が終わった。いつも先生はひょうきんで、私を笑わせてくれる。いつもいらっしゃる優しい看護師さんも笑顔だった。おじいちゃん(失礼)先生なのだが、偶然受診した別の耳鼻科医の先生も名前を知っていたほど、なかなか権威のある先生らしい。どおりで、待合室の電話がひっきりなしに鳴っている訳だ。

「あとはボーイフレンドをつくるだけやな」

先生がにっこり笑った。

普通の人が聞いたら「早くいい人を見つけなさいよ」という意味に捉えるのだろうが、私にとっては意味合いが少し違う。もしパートナーが出来て、将来を見据えて子どもが欲しいとなった場合、治療方針を変えるから早めに言いなさい、と告げられているからだ。結局その機会はまだ来ていないのだけど(笑)、まずは結果に一安心した。「彼氏つくれ」という言葉は「扱いが面倒くさいフレーズ」上位に食い込むが、この先生だけは別。同時に、初めて婦人科を訪れて、暗澹たる気持ちになった頃を思い出した。

調子が思わしくなくて、取り急ぎ近所の医者を訪ねたのが数年前。結論から言うと最悪の医者で、診断結果も「ストレス」としか言われなかった。産科も併設している個人病院だったが、私が妊婦だったら絶対に病院を変える。…そう思いながら、やけくそで人生初のセカンドオピニオンを受けることにしたのが、こちらの病院だった。結果、”当たり”だったので良かったけれど。

診察後、例のおじいちゃん先生に手書きのメモを渡された。そこにはちゃんと診断名がついていた。れっきとした病気やないかい。暗い顔をした私を見て、先生が言った。

「若い人にはよくある病気や」

「どうしたら治りますか?」

「まず、今の仕事を辞めることやな」

「無理です」

今となればさっさと辞めてしまえばよかった気もするが(笑)、それどころでは無かった当時の私は反射的にそう答えていた。先生もそんな様子をみかねて、服薬による治療方針を説明してくれた。

そんなこんなあり、薬を数か月単位で試し、途中からは私の申し出により服薬内容を変え、現在に至る。去年、一度服用を敢えてやめてみて結果が芳しくなくがっかりしたことを思うと、順調に持ち直してきているようだ。

ここ数年学んだことは、信頼できるかかりつけ医を持つ重要性と、不調を感じたらすぐ病院に行く大切さと、セカンドオピニオンを行う勇気。「病院行った方がいいんじゃない?もし何事もなかったら、杞憂だったで終わるやん」そう言って病院に行くことを勧めてくれた、職場の同期には感謝してもしきれない。

あと大切なのは、「症例を話した時にパートナー(彼氏)が向き合ってくれるか」だよねえ。昔友達と話して首がもげる程頷いたのは、「生理が来ないと彼に告げた時の対応で、彼の本性が分かるよね」ってこと。マジで重要。人間性出る。テストに出るよ、ここ。深刻に話すシチュエーションは無い方がいいのだろうけど、みんな口には出さないだけで、アラサーにもなるとそういう経験をしているんだなあ、なんて思った。ほんとに、年齢を重ねるって色々あるよね。

家庭を持つ、は夢になり得るか

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ハード系のパンが、パンらしくて好きだ。

 

 

先日大学時代からの友達が、話の途中で「”家庭を持つ”は、夢じゃなくない?」と私に問いかけた。

経緯はこう。遠距離恋愛している彼氏は昔から結婚願望が強く、その理由が”家庭を持ちたい””子どもが欲しい”からとのこと。一方で友達は、昔からの夢を叶えた職場で働いており、本人は別居婚でOK、子どもも別にいなくてもいいという。二人は関西で出会った後、彼氏が転勤に伴い遠方の実家近くに帰ったのだが、彼氏は彼女に結婚して地元について来てほしいと言っているそう。その要望に応えるならば、友達は仕事を辞めざるを得なくなる。

そうなると友達は夢を諦め、縁もゆかりもない土地で専業主婦となる(彼女の職種自体求人が少ないため)可能性が高い。本人は断固拒否しており、その中で出てきた言葉だった。

「うーん…」私は唸った。私と彼女は考え方が似ているので、正直”家庭を持つ”を唯一の夢とするのに抵抗があるのだけれど、実際に”家庭を持つ””(女性であれば)母になる”を夢にする子は割と多い感覚があるし、それを否定はしない。個人の考え次第だという他ない。

この話をしていて、昔の話を思い出した。同じく大学の別の友達が、将来は「(自分の母のような)お母さんになりたい」とずっと言っていた。その子もとても優秀で、大学を首席で卒業し今は研究職に就いているのだが、ある時そのことに私が言及すると、何やら複雑そうな顔をした。

「研究は自分のしたい仕事だし、やりたいことに変わりない。だけど、”お母さんになりたい”っていう昔からの夢から、どんどんかけ離れている気がするねん」

私は、そうかなあ、別に両立できる気がするけどなあ、とは思った。でも彼女のお母さん像は、実母と同じ像なのだろう。仕事が忙しくて、子どもを見てあげられないだろうということが、彼女にとっては”お母さんになりたい夢からかけ離れる”のだ。

家庭を持つ・母になるということは、色んな要素が絡まりすぎているし、ぶっちゃけ運と縁の要素も多大にあるし、私はその言葉を聞いてとてもざらついた気持ちになる。自分の家庭環境を大いに反映する事柄だから。アプリや相談所で婚活をしていても、プロフィールには「子どもがほしい・ほしくない」欄を記入する箇所がある。とてもセンシティブな話題だから、昔のように「もし子どもができたら~」みたいな話は、とてもじゃないけどできないな。