To the moon and back.

関西在住30代OL。日々のつれづれをぼちぼち綴ってます。内容は、お買い物ログ・婚活のやきもき・仕事のあれこれ・読書記録・雑記(ただの日記)多め。

人生はスタンプラリーじゃない

婚活している友達と話をしていて、「わかるー!!!」とうんうん頷いたのは、婚活で出会う相手が結婚の良い面ばかりを見ているのではという気持ちになるということ。話していて、何だか話の”浅さ”を感じてしまうのだ。二人で一緒にいて楽しいのはこの上ないし、二人だからこそ喜びが倍になることもある。しかし、お互いの人生の片棒を担ぐからこそのしんどさや責任まで分かって話しているのか…?と考える。結婚したらゴールじゃない。続くのは生活。結婚したからって自分の人生が補われる訳じゃない。結婚して、家を買って、子どもができて…という自分の理想のスタンプラリーをこなすんじゃないよ。私も見せるから、あなたなりの覚悟が見たい。

今までどうやって人を好きになってきたか

人は人をどうやって好きになるのか。最近考えすぎて、最早哲学的な問いになってきた。

恋愛で、どうやって今まで人を好きになってきたかを振り返った時、私は「自分の弱みを見せて受容された時、共感・理解された時」だと思った。あと自分を「面白い」と認めてもらえた時も衝撃波が走る(笑)。自分で言うのも恥ずかしいが、誰と付き合っていても、「何となく好き」が「盲目的に好き」になった瞬間を今でも覚えている。それがいいかどうかは別として、今はその感覚が恋しい。刺激と疲弊を行き来する恋愛は卒業して、穏やかで安心できる恋愛がしたいなあと強く思っているが、やっぱり心から好きでいられる人じゃないと一緒にはいられないよね。

行動力のカンスト

私の好きなテレビ番組『激レアさんを連れてきた。』。この番組の醍醐味は、何といっても「そこまでする!?」という出演者の異次元の行動力。その行動の原動力は大抵純粋な興味関心、好奇心からきており、観ていて大変楽しい。

ある特定の一人の人生にクローズアップする番組は、情熱大陸やセブンルールなど枚挙に暇がないが、激レアさんの面白さはその利己的精神にある。社会課題の解決に奔走し、私財を投げ売って人生を懸ける人も素晴らしい。だが私は、激レアさんのあくなき探求心がとても好きだ。モチベーションに正負があるなら、前者は”負”、後者は”正”のイメージ(※負がネガティブな印象だという訳では無い)。負のモチベーションは、マイナスの事象をゼロ、もしくはプラスに変えようとする原動力で、正はプラスの事象に対して磨きをかけていくというような感じね。

私の知り合いで一番行動力カンストしてるわと思ったのは、大学時代にゼミの同級生と日帰り卒業旅行(パラグライダー体験)を計画した際、韓国アイドルの追っかけをしていた子がその旅行のために、ワールドツアー中のカナダから帰国してくれたことだ。「いや、航空券代勿体なさすぎでしょ!違う日にするよ!」と相談し合ったが、どうしてもグループ全員の都合の良い日がその日しかなかった。「いいよいいよ!」と言ってくれた彼女よ、マジか。日帰り卒業旅行でパラグライダーをした翌日、彼女は再び空港へとんぼ返りし、海外へと飛び立った。今思い出しても、やっぱすげーわ。

 

えー、婚活男性の皆様におかれましては

「えー、えー、こほん。はてなブログをご覧の皆様。わたくし、婚活女性党党首の晴(ハル)と申します。この度は党首演説に目に留めて下さいまして、誠にありがとうございます。えぇ、特に聞いてないって?あらごめんあそばせ。気が向いたら耳を傾けて下さいますと大変幸甚に存じます。

さて、さて、今回わたくしが申し上げたいのは、『七つのゼロ』の公約でございます。どこかで聞いたことがある?気のせいですわよ、きっと。この度わたくしは、婚活総選挙に出馬するにあたり、市井における婚活女性の意見を代表致します。それをまとめたのが、七つのゼロの公約です。言い換えるならば、婚活男性に”ゼロにしてほしい”公約でございますわよ。

早速、まず①:『過去の元カノ話』ゼロ、でございます。婚活女性は未来を見ています。自身の未来を見ているからこそ婚活をしているのであります。しかしながら、出会って意気投合した・マッチングが成立した・お食事の予定ができたといった、会って間もない時に、男性から繰り出される『過去の元カノ』話。はっきり言いましょう、「めんどくせえ」。未来の話をする場で、過去を振り返ってどうする?この人と未来の話ができるか、そう思って現在の話から始めているのに、なぜそんなに後ろ向き?「そんなに元カノが恋しいのなら、元サヤに戻れば?」呆れた女性の声も我が党には届いております。過去をやり直したいなら、今放送中の金曜ロードショーBTTFシリーズでも見たらいかがでしょうか。

続いて②:『得意料理の話』ゼロ、でございます。妻となるかもしれない女性には、料理ができてほしい。そういった心の声、言わずともバッチリ女性には届いております。必要範囲内で答えることでしょう。しかし、しかしですよ。その言い方には「自分自身が家事をする」という視点は含まれているのでしょうか?仕事で忙しいから、家事を丸投げしたい―そんな思いが透けて見えた時、婚活女性は一瞬で心をシャットアウトすることでしょうね。婚活女性党支持者の皆様からは、「しつこく得意料理を何度も聞かれた」「自分のメシくらい自分で作りやがれ」「作らざる者、食うべからず」といった厳しい声も寄せられております。得意料理というフレーズ、聞こえはいいかもしれませんが、相手のこめかみをよーく観察してみましょう。

さらに続き、③:『自尊感情の低さ』ゼロ、でございます。言い換えれば、婚活男性には適切な自尊感情を持ってほしいということですわね。具体的に申し上げますと、出会った直後に「どうしてあなたが、僕なんかと会ってくれたんですか?」「全然マッチングしたことなくて…婚活上手くいってないんですよ。緊張しちゃいますね」と言い放つ殿方。「それ、言わぬが花ーーーー!!!」と、目の前の婚活女性は冷静に心の中で突っ込んでいる訳であります。別に緊張されようが、初対面だしどうでもいい。むしろ場慣れしているよりいい。でも、必要以上に自己を下げられると、瞬く間にどうしようもなくなるのです。それは謙遜であっても、会ってくれた相手に失礼に当たるとわたくしは思うのです。はっきり申しますと、「私がマッチングした人は、他に申し込みがないんだあ…」と、”貧乏くじ”(例えですよ)を引いたような気持ちになりますわね。言わなくていい事を、なぜ言うのか?わたくしには到底理解が及びません。自信過剰もいやですが、自尊感情の低さは大変根深い問題かと思われます。自尊感情を埋めるために、あなたがたは結婚するのですか?

ヒートアップしてきましたわね。④は『しょっぱなからのタメ口』ゼロ、でございます。たかがタメ口、されどタメ口です。しょっぱなというのは、出会って数回と想像してみて下さいな。仲良くなりたいからタメ口で喋りたいと申し入れてみた、お互いに敬語とタメ口を混ぜて喋っていたらいつの間にかタメ口になっていた…というシチュエーションは、何ら問題ございません。問題は、相手の了承なしにいきなりタメ口。代表的な婚活女性の意見はこちら――「いつからお前の彼女になった?」。タメ口を使うことで親しみやすくなる?ノー。厚かましさと馴れ馴れしさがMAXになり、一刻も早く立ち去りたくなるのが目に見えております。

⑤:『好き嫌いが分かれるトピックの押し付け』ゼロ、でございます。少し表現が判りづらくて恐縮でございますが。誰しも好き嫌いはございます。全員が同じものを好き、だなんてつまらない世の中ですわね。しかしながら、お互いを知っていく途中経過において、好みが分かれそうなトピックを、LINE連投で送りつけるのはいかがなものでしょうか。女性全員がアウトではなく、中には大丈夫な女性もいるかと存じますけれども、例えば――わたくしは、爬虫類展(珍しい生き物展?)の写真がたくさん送られてきたことがございます――その時わたくしは――仕事中だったこともありますが、いわゆる”そっ閉じ”を致しました(そっ閉じという言葉を、今人生で初めて使いました)。相手が動物アレルギーだったらどうしていたんでしょうか。「まずは”動物はお好きですか?”くらいのクッションを挟めや」と言った赤裸々な意見も我が党には届いております。

ようやく⑥に参りました。⑥:『相手に自分の質問に答えさせてから、自分の意見を述べる作戦』ゼロ、でございます。こちらも具体例に参りましょう。相手のことが気になる、どんな人なのか知りたいという気持ちはお互いに共通。だからこそ婚活で、出会っているのです。その時、ぶしつけに相手に質問攻めにしてはいないでしょうか?わたくしの経験による『あり得ない質問暫定NO1』は「浮気したことってありますか?」でございましたが――今でも女子会の鉄板ネタにして、友人からは袋叩きにされている発言ですが――、相手に勢いで答えさせて、その返答を見て、自分の意見を述べる。これは、相手を知ろうとする体(てい)ではありますが、結局自分のペースに乗せたいがための巧妙な話術なのです。私個人の分析によりますと、これは相手の発話の癖であり、直ることはない…アサーティブ・コミュニケーションが壊滅的であります。大切なのはアサーティブ。どんな時でもアサーティブ。口ずっぱく申し上げましょう。分からない奴はググれ。

長くなりましたわね。最後の⑦つ目のゼロは、『受け身』ゼロ。分かりやすいでしょう、火を見るより明らか。異性を誘いづらい、自分からは行動しづらい。そうした気持ちをお持ちなのかもしれません。しかし場を楽しくしよう、楽しい時間を共有しようという姿勢が無い方と、一生は一緒に居られない。これは自明の真理であります。例を述べましょう、待ち合わせで落ち合おうとしていたカフェが満席で入れない――近くのカフェを探す、せめてググる。ググれ。とりあえずググれ。フリでもいい。そうすりゃ何とかなるのになぜしない?これは婚活の話だけではありません。社会人として、仕事でもプライベートでも、集まって何か共同作業をするとき、ぼーっと突っ立っている……人間性を疑いますわね?恋愛にせよ、婚活にせよ、人間関係であることには変わりないから、まず人間性が尊敬できなければ無理。これはわたくしの友人の至言を拝借致しました。

七つのゼロ、いかがでございましたか?大なり小なりございますが、婚活女性の声を代弁させていただきました。あ、それと今回は形式的に「婚活女性」から「婚活男性」へ向けての演説となっておりましたが、便宜上ですので、性別関係なしでございますよ。ご自身の考えるパートナーについて、考えていただければ幸いでございます。ありがとうございます。婚活女性党に清き一票を。ああ、ご声援ありがとうございます。この一票は、わたくしや婚活に励む全ての女性へのエールとしたいと思います。最後まで読んで下さった皆様のご多幸とご健勝を願いまして。ご清聴、ありがとうございました。」

言葉のお守り

先日、高校時代からの友達と久々に会った。紫陽花を鑑賞してお茶をするという、何とも平和で幸せな時間だった。プライベートのあれこれを喋る上で、友達が「晴ちゃんのこと、私はすごく素敵な友達だと思っているよ」と言ってくれたのがとてもとても嬉しかった。普段そんな話をしないので余計に。私も同じ言葉を返したよ。

「晴ちゃんなら絶対に幸せになれるよ」と言ってくれたけど、「一緒に二人で幸せになるんやで!」と返した。こんな友達が居てくれて、もうすでに幸せなんだけどね。

相手をイライラさせる能力に長ける人

児童福祉の分野で働く友人と喋った時、いわゆる問題行動を起こす子どもにどう接しているのかを聞いて、非常に興味深かった。友人は課題を持つ子どもを、大人をイライラさせる”能力に長けている子”と捉えて接するそうだ。子どもは口答えするし、非行に走るし暴れるから、腹が立ってイライラしてしまうけれど、子どもが仕掛けるゲームに乗っからないのが重要だという。応じてしまえば、家庭での親子関係を再現してしまうからだ。そのために、一歩引いて子どもたちと向き合うそうだ。

”相手の気持ちが理解できずに周りをイライラさせる子”ではなくて、イライラさせる”能力に長けている子”という考えは、発想の転換のように感じられる。バランスゲームの渦中に入らず、冷静に見る。児童福祉と一般的な職場では違うかもしれないけれど、自分が嫌な上司と接する時、この人は相手をイライラさせる能力に長けている人だと思うとちょっと気が楽になるかもしれない。

友人は同時に、渦中にはまらないためには、自身が精神的に健康でいなければいけないと述べていた。こちらも同意だ。自分が元気でなければ、周囲のことなんて気にかけられない。お互いに自分に気を遣って元気でいようねと伝えて、友人とは別れた。まずは自分が健やかなメンタルでいて、周りに目を向けるのはそれから。シンプルだけど、難しいね。

反・フェードアウト

ここ数年考えていたことを、満を持して書く(何だか大層だが)。

『フェードアウト』をした、もしくはされた経験はあるだろうか。

ここで言うフェードアウトとは、どうでもいい人との関係ではなく、親しく交際していた人によるフェードアウトを指す。苦手になって自然と疎遠になったとか、どう考えても離れた方がいい人と距離を置いたのではなく、そこそこの頻度でちゃんと顔を突き合わせ、お互いの素性も知った上で突然フェードアウトしてくること(きっかけはあるにせよ、突然居なくなったり連絡を絶つパターン)。

多感な思春期は別として、私は自我が確立してから、フェードアウトをしてこられて自分を苦しめたと思う人が二人いる。一人は仲の良かった後輩で、もう一人は付き合っていた彼氏(彼氏は私が問い詰めたことで、フェードアウト未遂に終わった)。サークルなど集団の中ではぽつぽつ見かけるが、密に接していた訳では無いので省くとする。自分でフェードアウトしたことは、多分無い。

マジでめちゃくちゃ疑問なんだが、「なんでフェードアウトするの?」。人と接触すること自体が嫌な期間は誰しもある。仕事がハードすぎて他に何も考えられない時期もある。私個人の行動にも非はあっただろう。嫌な言い方をしてしまったかもしれない。ただその不満をぶつけることなく、自然に消える(消えようとされる)行為を、私はズルいと思う。それまでの信頼関係や思い出は何だったんだろう、という気持ちになるし、一方的な信頼や愛情だったのかと泣きたくなる。それまでが冷め切っていた関係ならそもそも泣きたくなんてならないし、笑顔で一緒に居た時間があるからこそ、フェードアウトされたことを信じたくなくなる。

フェードアウトされたことに対して、自分の過去の振る舞いを責めたことも、自省してみたら?と周囲に言われたこともあるけれど、数年かけて、やっぱり私は思うのだ。「勝手に消える奴は、臆病者でズルい奴」。

フェードアウトすると気が楽でしょうよ。嫌な人と距離を置いて、自分のペースで連絡を絶ち、精神が安定した頃に居たコミュニティをそっと抜け出す。形式上自分を悪者にして、それを人間関係の盾にし、その場から逃げる。「フェードアウトするしか無かったんだよ。誰もが晴ちゃんみたいに、白黒つけられる人じゃない。強くないんだよ」みたいな相手側の言い分を周囲に言われたこともある。は?別に強いからフェードアウトしないんじゃないだろうが。人と人との関係性で、裏切っては絶対にだめなラインを守っているだけだ。”弱さ””もろさ”という言葉を引き合いに出すのは、卑怯だ。

 

先日ブログにも登場した先輩に、ちらっとこの話をしたら、

「ああ、時々いるよね。自分がしんどい時に、周囲に気を遣えない人」

言語化をして下さり、腑に落ちた。自分がしんどかったら何をしてもいいんでしょうか。相手を傷つけてもいいんでしょうか。それは違う。

ついでに思い出したのが、フェードアウトした元彼氏のことを上司(仲が良いので何でもかんでも喋っていたw)に話した時、

「相手もしんどかったかもしれないけれど、晴だって同じだけの時間を過ごしたんだから。決して短くない時間を使って、心を砕いて一緒にいようとしてたやん。だから、フェードアウトするのはあり得ない。相手の気持ちや時間を使っていることへの意識が足りなさすぎる」

と言ってもらったのも強く心に残っている。そうなんだよ。同じだけの時間を過ごして、私だって消耗している。そんなに一緒が嫌なら、ダラダラせずにはっきりと伝えてくれた方がよっぽどいい(その時は苦しむが)。フェードアウトされたのか、ただの相手の気まぐれや疲れなのかを確かめようとするのは、自分の心が病む。

フェードアウトする人は、相手と向き合った時に自分が責められて傷つくのが分かっているから、あえてその場に出てこないのだ。

 

なので、今は声を大にして言う。フェードアウトはやっぱりあり得ない。最低限の土俵に出てこない人は、信用が置けない。人間関係って綺麗事だけではなくて、ドロドロしているものだと思う。いい面だけを吸おうとするな。いやな面もどうにかこうにか向き合ってこそ得られるものがあると私は思うし、それを信じているから、擦り切れ状態でも何とか土俵に立っている。でも、相手が土俵に乗ってこなければ、何も起こらない。

最後に。フェードアウトされた人に対して、私は必要以上に気に病むなと言いたい。私自身、言われずとも自分の行動を一から十まで死ぬほど反省するタイプで、過去を振り返っては傷を掘り返し、グサグサやられていた。相手と向き合えない人を庇う必要は全くない。違うのだ。自分を責めてはいけない。フェードアウトされたことと自分の価値を繋げない。フェードアウトする行為そのものが不誠実なのだから。もし今後同じような思いで苦しんでいる人がいたら、そう言ってあげたい。