To the moon and back.

関西在住30代OL。日々のつれづれをぼちぼち綴ってます。内容は、お買い物ログ・婚活のやきもき・仕事のあれこれ・読書記録・雑記(ただの日記)多め。

友情のセーブポイント

最近、友達がいてくれてよかったと思うことが立て続けにあり、その存在に大変感謝している。

 

学生時代までは、ある程度同質のコミュニティの友人と定期的に会う機会(ゼミやサークルなど)があるが、社会人になると極端に減る。かつての友人たちは全国津々浦々に就職し、会う時間もなかなか取れなくなる。できて飲み会、1日都合を合わせるだけでも一苦労、旅行なんて綿密に計画しないとグループでは行けなくなった。友人が結婚し、子どもができたりとライフステージが変わっていくと、さらに連絡が取りにくくなる。

 

20代中盤の頃は、純粋に寂しかったし、「もう会えないのかなあ」とセンチメンタルになっていた。

 

 

けれど最近、ふと近況報告し合ったことで、再び密に連絡を取ることになった人達が何人かいる。他愛のない話から、時には人生相談まで。

 

昔、友情は「永遠」を約束するものだと信じていたし、いわゆる”ズッ友”(懐かしい。笑)に憧れたこともあるが、今30歳手前にして、友情は一旦「セーブ」するようなものなのかなあ、と思っている。

進学や就職で環境が変わったりして、一度はそこで友情をセーブする。しばらく会わないこともあるけれど、数年たって連絡を取り合えばちゃんとセーブポイントから話を始められる。会っていなかった時間を埋めるように。「何してた?」「どんな風に過ごしてた?」「変わったことはあった?」と確かめ合って、お互いの近況に喜びあったり共感しながら、ある程度で一旦セーブする。「また会おうね」と約束して。

 

だから、今疎遠になったとしても、将来セーブポイントから始めたら関係を続けられるんだと考えれば、素敵なことだと思えるようになった。忘れちゃいけないのは、これが友情という名のRPGだとしたら、プレイヤーは自分自身であること。自分次第で、いくらでもセーブしたところから関係を始められることを忘れずにいよう(いざドキドキしながら連絡してみると、意外と相手からも「私もどうしてるかなと思ってたの!」という反応を貰えることがあるのは、まさにそれだ)。

 

本当の友情というのは、そのセーブした所で、お互いまた会いたいね、と約束できることなのかもしれない。お互い無事でいてね、近況聞かせてね、元気でいようねと言い交わすことは祈りにも似ているし、私はそれを友情のメンテナンスだと考えている。相手を思い合って、ゆるやかに関係を更新し続けていきたいと願うことだから。

だから今会えなくても、連絡を取っていなくても、数年後に茶飲み友達として再会できたら私はすごく嬉しいし、間口を広げて立っていられる人でいたいと思う。