To the moon and back.

関西在住30代OL。日々のつれづれをぼちぼち綴ってます。内容は、お買い物ログ・婚活のやきもき・仕事のあれこれ・読書記録・雑記(ただの日記)多め。

エコ、リユース、サステナビリティ+書評もりもり

今日は初めて、GUの全商品リサイクル活動のカゴに不要になった衣服を3着入れてきた。GUかユニクロの衣服なら無償で引き取ってもらえる。マイルも溜まるし。
www.gu-global.com

世の中には中古品買取ショップが溢れているし、メルカリも盛況だ。ただし私が買うのは中古本に限られる。ブックオフは大好物、何時間でもいられる。でも衣服や雑貨となると、あまり食指が動かない。服はできれば新品を着たいし、使用済みの雑貨は惹かれない。ヴィンテージやアンティークまでいくと趣が違うのかもしれないが、いいものは最初の所有者になりたい(笑)。メルカリで衣服や化粧品が売り買いされているのを見ると不思議に感じる。肌に身に着けるものは、まっさらであって欲しいんだろうな。そんなことを考えた。勝手なものだ。せめて手放すときは環境にやさしくあれたら、と思ったのが冒頭の話。

少し話は逸れるけど、この1年、SDGs関連のニュースや記事を度々目にしてきた。私がこの言葉について深く知ったのは去年のことで、職場の昇進試験(面接)で訊かれるかもしれないから答えられるよう勉強したのだ。今年も全社員に向けてWEB学習が始まるなど、企業としても早急に知識を深めさせようとしているのを感じる。企業意識としては遅れている方で、先進事例の企業を見ていると全然だなあと思ってしまうけど。

一方で、今の子どもたちはSDGsの観点で授業を受けているそうだ。素晴らしいことだと思うな。「誰もが取り残されない」というフレーズは端的で分かりやすい。私が学生だった時には全く無かった言葉だ。でも、SDGsの理念に近い状態を実現するための教育活動を大学では実践されていたし、その一端に触れられていたことを誇りに思うな。うーん、やはり大学はいいな。小中高大、戻るとすれば絶対大学に戻りたい。今の子どもたちが大人になったら、将来色々教えてもらうことが増えるんだろうな。…って、先の未来を勝手に想像している。

ファッションでも急激にサステナビリティが言われ、例えばエコレザーの商品がたくさん表れたのが今年だったように思う。ちょっと前だったら、フェイクレザーなんて…と見向きもされなかったかも。時流だ。消費者が自分の選択に少しでも責任を持つ時代なんだと思う。

 

★本日の一冊★『下り坂をそろそろと下る』平田オリザ(2016)講談社現代新書

下り坂をそろそろと下る (講談社現代新書)

下り坂をそろそろと下る (講談社現代新書)

 

大学時代、私は平田オリザさんの演劇ワークショップを数回受けたことがある。その時の説明や目的意識が非常に明確で、目から鱗の連続。「演劇の方」というざっくりしたイメージしか持っていなかった私にとって衝撃だった。その後、同じ講談社現代新書から出ている同氏の『わかりあえないことから―コミュニケーション能力とは何か』も一読。こちらも明瞭で、高校生や大学生に読んでほしいなと思った一冊だった。おすすめです。

本書で印象的だったのは、序章で書かれていた一節。「子育て中のお母さんが、昼間に、子どもを保育所に預けて芝居や映画を観に行っても、後ろ指をさされない社会を作ること。」読んで思わずはっとした。異論はない、文化的側面からの少子化対策という文言にも頷ける。わざわざ太字で記載されていたから、平田さんも相当意識して書かれたのだろう。子育て世代に支援金を増やし、待機児童をゼロにするハードな政策も大切だが、ソフトが変わらなければ日本はずっとそのままなんだろうな。後ろ指をさされず、文化を楽しめる包摂的な社会って、そういうことだよな…。私は将来家庭ができたとしても、絶対に観劇や音楽鑑賞をやめたくないと思っているから。

かつてワーカホリック人間が集まる職場で働いたことがあるが、男性社員(一くくりにするのは良くないけど実体験として書くね)が深夜まで仕事をし、その成果出世し、会社の重役になるという現状があった。誇らしげに喋っているけど、あのー、あなたの3人のお子さんは、奥様がワンオペで育てられてるんですよね…あなたは楽しそうに毎日居酒屋をはしごしてますけど…。げんなりした。奥様のキャリアはどうなっているのかとか非常に興味があるけど、深掘りしても私には何の得もないから訊かないけどさ。パパが居酒屋にいくことは咎められないのに、ママが昼間に芝居や映画に行ったら怒られるっておかしいよね。そんなことを、序章の一節で走馬灯のように考えた。

各地での演劇コミュニケーション教育の事例が面白い。興味深いのは、平田さんが「自己肯定感」という言葉を地域振興の成功のカギとして使っておられるところ。ヒト単体で使うことはよくあるけど。自己肯定感を持って自分の出身地や地域を語れるようになることが、大切なのかもしれないなあ。私はその肯定感持ってないな、と読みながら気づいたけど(笑)。

他、文化資本の話も取り入れられていた。コロナ禍で再考する機会が増えたから、もう少し勉強を頑張ってみようかな…教育社会学を学んでいたものの端くれとして…。私の家庭環境は、裕福では無かったけど幸い文化資本が高かったと思う。「本物を見なさい」と言われて幼い頃たくさんコンサートに連れて行ってもらったし、本や勉強に関するものは無制限に買ってもらえた。「教育と体験(旅行含む)にはお金を惜しまない」が教育方針だったらしく、そのおかげで得られたものが数えきれないほどある。友達も似たような環境で育った人が多かった。

話が飛びまくるが、今でも覚えている話。大学時代の後輩が、ある時「私の家、本当に貧しかったんですよ」と言う。貧しいという言葉はデリケートだし、どう返答するか悩んだ。というか、元々身なりがきれいで服装もおしゃれな女の子だったので、その発言に正直驚いたのだ。全く”貧しい”という言葉と彼女が結びつかなかった。「家族仲は良かったけど貧乏で。だから私が大学に行く時はがんばれがんばれと言われて。それで、高校もめちゃくちゃ勉強して進学校に入ったんですけど、びっくりしたことがあって」「なに?」「高校に進学した友達が、みんな神話の話をするんですよ!」「え?」「家で、宗教の話とか神話の話をしてるらしくって、めちゃくちゃびっくりして…私の家庭ではそんな話したことありませんでした」それから神話のことを勉強したのが彼女らしいのだが、ふと文化資本のワードになるとこのエピソードを思い出す。念のために言っておくが、別に彼女の家庭環境が”欠けてる”と言いたい訳じゃない。ただ、家庭環境の文化資本如実に人の形成や思想に影響を及ぼすと感じたのだ(私の実家も神話の話はしない(笑)。し、私がかつて中高時代あまりにも勉強するので両親が驚き、そんなにがんばらなくてもいいのにと言われていたので、シンパシーを感じたのだ)。

話が飛びまくった。頭に色々刺激されるという本は、きっと良いことなんだろうな。